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日高敏隆 『ホモ・サピエンスは反逆する』(朝日文庫)

 著名な生物学者日高氏は養老氏とは少し違った意味で話がよく飛ぶ人である。最終ページに近いところに、生物進化のとても面白い話があった。

 p253-4

 たとえばガマガエルは1万ぐらい卵を産む。親と卵は遺伝的に全部閉じた輪になっているから、卵がかえれば全部同じプロセスを通って親のカエルになっていく。これを永遠に何十万年と繰り返していくわけだ。とすれば新しく種ができるとき、いったいどこで変化が起きるのか。どうもさっぱりわからない。

 昔は発生のプロセスというのは、前成的つまり受精以前にすべてが決まるとされていた。それが19世紀後半の近代生物学の興隆があって、後世的なものだという認識が優勢になった。ところが、20世紀も後半になってまた話が変わり、一つの種の生物にはそれに固有の遺伝子DNAの集団があり、発生はこの遺伝子DNAの集団の指示通りに進む。仕組みはまだよくわからないが、このDNA集団には時間的なタイミングをつかさどるパターンまで組み込まれていて、発生の形態的な面ばかりでなく時間的な順序までこのDNA集団によってプログラムされている―—ということを認めざるを得ないようになってきた。で、この理論の大半を認めると、卵から親までの発生のプロセスはやはり非常に前成的なものであるということになる。しかし生物が起源からして前成的であったはずはない。前成的という論理には進化の余地がなくなるという致命的欠陥があるからである。

 結局、発生学者のガルスタングが指摘したとおり、新しい種の動物は、その親が変化しして生じたのではなく、それ自身が胚の状態のとき「何か」が変化して、親とはわずかに違うものをもった成体になったのである。いいかえれば、ある生物の親の形態というものは』常に袋小路であって、それから何か新しいものが生まれるということはない。新しいものが生まれるときは、つねに胚の段階で進路が変わっている。

 いわゆる進化の系統樹を描いた場合、もしこの真の分岐点にいる化石が出れば、系統額も進化学も助かるだろうが、残念ながらそのような化石はありそうもない。なぜなら胚の段階で親とはわずかに違うものになった成体は、化石になったときはその違いは顕微鏡に移るほどはっきりしたものではないだろうからだ。このわずかな変化が数十~数百世代継続され、その種の新しい方向への飛躍がなされた時、初めて新しい種というものが生まれているのではないだろうか。