アクセス数:アクセスカウンター

日高敏隆 『僕の生物学講義』(昭和堂)

 社会とは何か

 p114-7

 大学生の頃に、ぼくの先生が『現代人間学』という本をみすず書房から出すことになった。その中で社会のことについて書くので、ぼくに「動物の社会・人間の社会ということで一章を書いてくれ」って言われたんです。

 でもそもそも「社会」とは何だということが、ぼくにはよくわかんなかった。それでいろんな本を、十冊以上読んだかなあ、翻訳も読みましたし、英語版でも読みました。全部人間の社会についての話なんだけど、ずいぶんいい加減なことを言うもんだって、当時は思いましたね。今はもちろん違いますけどね。

 たとえば、「社会とは」という定義があると「社会とは人間が社会生活をして」とかなんとか書いてあるわけね。普通は定義をするときには、その言葉を定義に中に入れちゃいけませんよね。

  その頃、京都に今西錦司という人がいた。京都大学の動物学科のの研究室にいてニホンザルの社会を研究してたんですね。・・・で、この人の研究で今でも有名なのは「棲み分け」という問題です。・・・動物は違う種類が同じところにいるとけんかになるから、ちゃんと棲み分けをして、それで仲が悪くならないようにしているんだと、そういうことを言い出したんですね。

 その研究を京都の鴨川でやったんですが、川底の石の下にカゲロウという虫がいますけど、そのカゲロウの幼虫は流れのはやいところにいる奴は体が平べったくって流されないようになっている。でもヘリの方の流れのゆるいところの幼虫は、体が太くてあまり泳げないけど、流れがゆるやかだから、そこにいられるわけですね。そういう風にして、同じカゲロウの違う種類が、同じ川の中でちょっとずつ場所を変えて棲んでる。

 これを棲み分け説として発表したんですが、世界的に非常に有名になりました。こういうことを紹介しながら今西先生は「社会とは何だ」といろいろ言われました。少し抽象的に言えば「社会というのは猫なら猫という種類の動物が、その個体と個体の、一匹一匹のあいだの個体関係を通して作り上げている、種としての生活組織である、と。

 そこに個体がたくさんいるかどうかはあまり関係ない。ミツバチなんかはいっぱい集まって棲んでいるからいかにも社会生活をしてそうだが、モンシロチョウはあそこに一匹、はなれたところにもう一匹、バラバラになっているから、モンシロチョウには社会はないように見えます。でもこれは間違い。ミツバチにように集まって生活しないのがモンシロチョウの太古からの暮らし方なんですね。