アクセス数:アクセスカウンター

丸山真男 『ウェーバー研究の夜明け』(座談集第八巻・vs安藤英二)

 p198-9

 僕(丸山)は、唯物史観唯物史観によって説明されなければならないと、昔あなたに言ったことがありますね。なぜ僕がそういうマルクス自身を相対化する目を持ったか、ということになると、むろん生まれながらの懐疑主義者だといえばミもフタない話になっちゃうけれど(笑)、しかし、そういう暗示をぼくに与えたのはカール・マンハイムですね。マンハイムマルクス自身に、あるいはマルクス主義者自身にイデオロギー論を適用しなくちゃいけない、つまり、マルクスイデオロギー暴露をした、階級敵のイデオロギー暴露をして学説や世界観をその社会的機能の観点から相対化したけれども、自分自身の考え方をもイデオロギーとして存在拘束性においてとらえていない、ということを指摘しているんです。

 つまりプロレタリアートに関係づけはしたけれども、プロレタリアートだけが社会の変動を全体的にとらえられる、ダイナミックにトータルな「心理」を捉えられる立場にある、というわけですから、結局、自分自身の認識が党派的に制約されていることのマイナス面は意識されないことになってしまう。そういう批判の上にマンハイム知識社会学イデオロギー論は展開されているんですね。この『イデオロギーとウトーピー』や『保守主義』といった名著を大学時代に読んで、それまでのマルクス主義へのモヤモヤした疑問に対して、少なくとも問題の所在を指摘されたという感を持ちました。