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内田 樹『街場の読書論』(太田出版)2/2

 p198-201
 トクヴィル『アメリカの民主主義』
 ポピュリズムについて述べる中でトクヴィルは、二度も大統領に選ばれたアンドリュー・ジャクソンを、ワシントンで彼に会見したあと、痛烈に評している。 「ジャクソン将軍は、アメリカの人々が統領としていただくべく二度選んだ人物である。しかし彼の全経歴に、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない。」
 ふつうの人は、「資質を欠いた人物を大統領に選ぶのは、有権者がバカだからだ」と総括して終わりにする。しかしトクヴィルはそうしなかった。
 ジャクソンは独立戦争に従軍した最後の大統領である。(ただしほとんどの期間を捕虜としてすごした。)のちテネシー市民軍の大佐となり、インディアンの虐殺によって軍功を積み、セミノール族の大量虐殺やイギリス・スペインをフロリダから追い出したことで一躍国民的英雄となった。
 「軍功」というよりはむしろ「戦争犯罪」に近いこの経歴にアメリカの有権者たちは魅了された。ナポレオンを基準にして「英雄」を考えるフランスの青年貴族だったトクヴィルは、ジャクソン程度の軍人が英雄視されるアメリカという国の底の浅さに驚嘆し、強い不快感を覚えた。しかしトクヴィルの偉さは、そこからさらに一歩踏み込んで次のように考えたところにある。
 すなわち「アメリカの統治システムはうっかり間違った統治者が選出されても破局的な事態にならないよう構造化されているのではないか。アメリカの建国の父たちは、表面的なポピュラリティに惑わされて不適格な統治者を選んでしまうアメリカ国民の「愚かさ」を勘定に入れてその統治システムを制度設計したのではないか?」。
 ポピュリズムは一つの政治的狡知である。炯眼なトクヴィルが見通したこのポピュリズム理解は、そのまま私たちが直面している政治にも適用できる。彼我の違いを形成するのは、アメリカのポピュリズムが「建国の父」たちのスーパークールな人間理解に基づく制度設計の産物なのだが、日本のポピュリズムには、それを設計し運営している人間がどこにもいないという点である。(本ブログ2012年12月10日―20日トクヴィル『アメリカの民主主義』)
 
 p294
 朝日ジャーナルの歴史的使命 
 2009年だったか、朝日ジャーナルが「復刊」した。継続的に刊行されるかどうかはこの特別号の反響次第ということらしかったが、所詮難しいことだったろう。
 朝日ジャーナルの創刊は1956年である。それは、日露戦争第一次大戦の「戦勝」経験は持っていたが、第二次大戦に悲惨な将兵として従軍したことはなく、ひたすら銃後にあって政治、経済、メディアを牛耳っていた「明治人」が、まだ十分に力を持っていた時代である。戦後日本の「奇跡的復興」を主導したのも彼らである。
 その彼らの目の前で、その子供世代が「観念的でかつ左翼的な雑誌」として朝日ジャーナルを創刊した。この「明治人」の子供世代こそ、親たちが準備した第二次大戦において実際に銃を執り、植民地に赴き、収奪し、焼き払い、女子供を殺し、かつ犯した犯罪と同じ分量の不条理を味わいつくした人たちである。
 朝日ジャーナルが「観念的でかつ左翼的な雑誌」だったのは、そのような政治的立場を、自分の親世代である「明治人」たちがもっとも嫌うことを知っていたからである。まことに1960年代半ばから後の朝日ジャーナルは、支配層たちを不愉快にさせることについてはじつに勤勉だった。
 当時の朝日ジャーナル新左翼の政治や全共闘運動に強いシンパシーを示したのは、決してその政治的主張に共感したからではないと私は思っている。そもそも新左翼の側には整合的な綱領がなかったのだから、共感のしようもなかったに違いない。