池澤夏樹は京都大学の依頼で2004年9月15日から一週間、「世界文学を読みほどく」という特殊講義を行った。実際に創作活動をしている人が語ると、ふだんの講義の中で大学の教員たちが語る文学の読み方とは違う掘り下げ方をしてくれるのではないかという、大学側の思いに賛同したものだ。私の学生の時はこんな企画はなかった。
池澤としては「全体の流れとしては、スタンダールからピンチョンまでの、この二百年近い間で小説がどう変わったかをあとづけてみて、それではこの先はどうなるのか、その変化はいかなる理由によるかを考えてみたかった」と序論で書いている。
講義そのものは一週間毎日午前午後の二回。初日月曜は総論に充てられ、翌日火曜から午前スタンダール「パルムの僧院」午後トルストイ「アンナ・カレーニナ」、水曜午前ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」午後メルヴィル「白鯨」、木曜午前ジョイス「ユリシーズ」午後マン「魔の山」、金曜午前フォークナー「アブサロム、アブサロム!」午後トウェイン「ハックルベリ・フィンの冒険」、土曜午前ガルシア=マルケス「百年の孤独」午後池澤夏樹「静かな大地」、日曜午前ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」午後は総括とぎっしりで、聞く学生もノート取りが大変だったと思われる。
第五回(水曜午前)のごく一部を抜粋する
もし『カラマーゾフの兄弟』の続編が書かれていたら・・
P159-160
『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーが死ななければ続編が書かれていたとされています。どんな話になるのか。アリョーシャの話です。今の『カラマーゾフの兄弟』は死んでしまった少年イリューシャのお葬式の場面で終わっていますが、ロシア正教に強く惹かれている主人公の一人アリョーシャはそこで少年たち、若い友人たちに囲まれていますね。慕われています。明らかに若きイエス・キリストのイメージです。
ということは、アリョーシャ自身がこの後、平凡な市民となって一生を終えるはずがないことが示唆されていると読んでいい。
アリョーシャはやがてリーズと、彼女が予言したとおり結婚しますが、その結婚生活はうまくいかなくて、彼は一人で首都に行って様々な思想活動に従事するようになる。そしてその挙句、最終的にはロシアの皇帝を暗殺する、もしくは暗殺しようとして死刑になる、という話を考えていたようです。そういう形でなければロシアは救われない、というのが最後にドストエフスキーが思っていたことかもしれません。
ちなみに作者ドストエフスキーが死んだ一か月後に、皇帝は本当に暗殺されました。そういう時代でした。