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マックス・ウェーバー  『プロテスタンティズムの教派と資本主義の精神』

 p94
 アメリカの世間のクラブでは投票によって欠員が補充されるが、それはひどく排他的であった昔のピューリタン教団加入の意義が世俗化した果てに生まれたものである。
 いま最も民主的とされるニューイングランドでも、独立戦争前までは、教団内の完全な市民権が州内の完全な市民権の前提であったし、その教団加入を許可するのは信者の「教団に対する品行」を審査する教団自身だった。アングロ・サクソン系の間では、信じがたいようなお手盛り・偽善がとても真摯な表情でなされることがある。
 p112
 仲間のあいだで社会的におのれを持する必要ほど、個人を陶冶する強力な手段はない。教派の内部では、平信徒から(たとえば日曜の説教者として)選抜を受けることほど、その人間の信仰の品行が認められることはない。
 ピューリタニズムでは、どの派にあっても、救いを確かなものにするという意味で神の前におのれの信仰上の品行を「証明」すること、諸教派の内側においては社会的におのれを持する意味でその倫理的な生活態度を「証明」することに、「プレミアム」がつけられていた。
 このプレミアムは、排他的ピューリタン諸派の中ではそのまま、その教団の営業力強化にかなう個人的特質の評価につながったのであり、諸派の中での信用力増大の根拠となった。排他的ピューリタン諸派を十個ほど糾合すれば、それはそのままアメリカ社会である。先進国の中でアメリカほど宗教が現世的な力を持つ国はない。旧約聖書の創世記の物語が小学校で言葉通りに教えられている国は、先進国ではアメリカだけである。