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有吉佐和子『複合汚染』 新潮文庫

 1975年ごろに書かれたようだが、ずいぶん話題になった本だった。当時は水俣病や富山のイタイイタイ病四日市の大気汚染を訴えた公害訴訟など、日本全国が公害問題で揺れていた。『複合汚染』という言葉がまだ目新しかったから、ベストセラーにもなったのではなかったか。 

 しかし読んでみて、小説としての体を全くなしていないことに、本当に驚いた。文庫本で76ページ迄は著者が市川房江の参議院選挙の応援に駆り出され、慣れない仕事に体がクタクタになる話ばかりが続いて、読者は「いつになったら複合汚染のはなしになるの?とうんざりさせられる。で、76ページで作者は関西の仕事場にやってきて、疲れた体でご飯を炊こうと、半年もほったらかしていたコメ袋を開ける。開ける前に、彼女も一応女性だから、米袋の中はコクゾー虫だらけだろうと心配になるのだが、なんと虫は1匹もいなかった。「どうして封を開けて半年にもなる米に虫がわかないのだろう」と、彼女は変な感じに襲われる。「この米には虫を防ぐ何かが入っているのだろうか」と。

 小説『複合汚染』は実はここから始まる。ここから後は、アメリカの有名な小説家レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の日本版のような話が400ページ以上にわたって延々と続く。じつにさまざまな有害物質に私たちは取り巻かれている、小魚には有機水銀が取り込まれており、食物連鎖でその有機水銀は小魚を食べる上位の魚にすぐに入り込む、稲の除草剤にはBHCDDTが含まれており、コクゾームシはつかなくなるが人間の消化器官がやられるかもしれない、柔らかくておいしい牛や鶏の餌には女性ホルモンが混入されている、妊婦がそうした肉を食べれば、胎児が男だった場合、どういう影響が出るのか、誰も知らない‥‥‥、といった話である。 

 しかも、作者は化学物質とかの知識にまるで乏しい。だから稚拙な説明をだらだらと聞かせられることが多い。いい加減にアタマにきて、半分の250頁で放り出してしまった。市川房江の選挙応援の話は最後まで一言も出なかった。小説の約束事として、こんな作法はないだろう。