丸山真男
p198-9 僕(丸山)は、唯物史観も唯物史観によって説明されなければならないと、昔あなたに言ったことがありますね。なぜ僕がそういうマルクス自身を相対化する目を持ったか、ということになると、むろん生まれながらの懐疑主義者だといえばミもフタない話…
1959年に筑摩書房の『講座 現代倫理』で、丸山の他に中村光夫、鶴見俊輔、竹内好、石母田正などが開いた座談会の記録。政治的、社会的危機状況に対する日本人とヨーロッパ人の態度の違いについて、鶴見俊輔が自分の留置場での経験を踏まえて印象深く語ってい…
1958年、大内兵衛・元法政大総長、南原繁・元東大総長という丸山の大恩師二人との気軽な対談。大先生二人に丸山が皮肉られおだてられる和やかな内容だが、途中には正田美智子と皇太子との「世紀の結婚」報道をめぐるシリアスなマスコミ批判もある。 現天皇と…
第20講 主権的国民国家の形成へ p279-82 福沢の独立国家論・戦争論 維新直後、国民の精神的真空状態への「識者の対応策」としてあらわれた「キリスト教立国論」を批判するなかで、福沢は「国家の存在理由」を力説しました。そこにおいて、福沢は宗教的愛敵…
第17講 諸領域における権力偏重 p121-6 日本に宗教の権威なし 福沢は古代からの神道について、<元来・・・・神仏両道なりと云ふ者あれども、神道はいまだ宗旨の体をなさず。・・・・往古にその説あるも、数百年の間、既に仏法の中に籠絡せられて本色を顕…
第16講 「日本には政府ありて国民なし」 p75-80 <日本にて権力の偏重なるは、あまねく社会の中に浸潤して至らざるところなし。・・・今の学者あるいは政府の専制を怒り、あるいは人民の跋扈をとがむる者多しと雖も、細かに吟味すればこの偏重は社会の至…
p33-7 1930-40年代のドイツ社会と第2次大戦後のアメリカ社会を比べれば、似ていたと言う人よりは違っていたと言う人のほうがはるかに多いだろう。しかし1952年、マッカーシーの赤狩りの嵐が吹き荒れ、社会全体のコンフォーミズム(体制同調の空気)に嫌気が…
p325-8 なぜ偽善をすすめるか。動物に偽善はない。神にも偽善はない。偽善こそ人間らしさの象徴ではないか。偽善にはどこか無理で不自然なところがあるが、しかしその無理がなければ、人間は坂道を下るように動物的「自然」に滑り落ちていたであろう。 日本…
第11講 徳育の過信と宗教的狂熱について p213-18 宗教的狂信の精神構造 ギゾー『ヨーロッパ文明史』とともに福沢の『文明論之概略』の思想的下敷きとなったバックル『イングランド文明史』のなかで、バックルはフランス、スペインでの宗教裁判、異端審問…
第8講 歴史を動かすもの 中巻 p49-51 p58-9 福沢は言います。<古より英雄豪傑の士君子、時に遇ふ者、極めてまれなり。・・・・孔子も時に遇はずと云ひ、孟子もまたしかり。道真は筑紫に謫せられ、楠正成は湊川に死し、これらの例は枚挙にいとまあらず。>…
第3講 西洋文明の進歩とは何か――野蛮と半開 上巻 p104、 106−7 「御殿女中根性」が幅効かせる半文明化社会 福沢は幕末維新期の日本を野蛮期と文明期の中間段階にあるとしています。特色ある考えではないのですが用いられている言い方が興味深い。とくに社…
第5講 国体・政統・血統―――国体の定義 上巻 p167-8 幕末・維新期は西欧列強の帝国主義政策によって日本の独立が激しく揺さぶられたときでもありました。いわゆる「国体」の維持をめぐる大変な時期です。この「国体」という言葉ほど、日本の近代を通じてお…
名著の30年ぶりの再読。今の政治学者、メディアの論説家は「一党派に与せず」を臆面もなく旗印にする。その結果はもちろんメディア露出度の高い体制を擁護することになる。体制は、たまには失言したりするものの、たいていは耳触りのいい表現で時局を説明…
「絆」と「和」は社会が閉じていることを表すキーワードである 開国とは、国家がいろいろな意味で「閉じた社会」の状態から「開いた社会」の状態に移ることを意味する。そして「国家」はその成員のすべての団体――藩であれ県であれ、会社であれ町内会であれ、…
p129 福沢はまがうかたなき啓蒙の子だった。合理主義に共通する、科学と理性の進歩に対する信仰を持っていた。しかし他方、福沢は、「人における情の力は至極強大にして、理の働きを自由ならしめざる場合の多い」ことにもよく通じており、「されば、かかる…
p117−9 福沢諭吉が「親の仇」のように嫌った江戸以来のアンシャン・レジームの学問では、倫理学が「学中の学」だった。ただそれは自然認識が欠如もしくは希薄だったということではなかった。そうではなくて、自然が倫理価値と離れがたく結びついており、自…
社会の近代化または資本主義の高度化にともなって、その社会の個人の心理や行動はどう変化せざるを得ないか―――。このことに対して、簡単な図式を使いながらもハッとするような明解な論証を試みた論文だ。読み始める前は、こんな十把ひとからげ的な、類型的な…
「私は、人間の進歩という陳腐な観念を固守するものであることをよろこんで自認する」 本巻(岩波・著作集第九巻)に『日本の近代化と土着』という小論がある。そこで丸山は強い言葉を使って、自分がヨーロッパ近代主義者といわれていることを認めている。「…
ヨーロッパ近代文明ははたして今も通用する「普遍的」価値をもつのか はたして丸山真男は、彼の批判者の常用文句である「心底からのヨーロッパ近代主義者」であったのか。次の一節で、佐久間象山に「中国は五千年も昔に、不思議に早く智慧はついたが、その後…
政治が「可能性の技術」であることをよく知っていた佐久間象山 p237−8 佐久間象山は自分が仕える松代の真田藩主に対していろいろな上書を提出し、幕末の政治的な状況に対するリアルな認識方法を具申しています。その中で彼は言っています。「日本に対してイ…
明治時代の半ばに、維新の精神的気候が変わった p223-50 天皇制の「正統性」が原則的に確立したのは、自由民権運動を強力に鎮圧した土壌の上に、帝国憲法の発布、市町村制の施行、教育勅語の渙発などがあいついで行われた明治二十二、三年以降のことである…
古代以来「令外の官」が実権を握ってきた日本政治の特殊性 p230-34 大化の改新による「天皇親政」の建前の変質はまず摂関制の登場に現れます。摂政も関白も名前は中国から来ているのですが、それはいずれも天子幼少のときとか病弱のときとかで、あくまで臨…
p132-3 日本ぐらいいつも最新流行の文化を追い求めて変化を好む国はないという見かたと、日本ほど頑強に自分の生活様式や宗教様式(あるいは非宗教様式)を変えない国民はないという、全く正反対の見かたがあります。 ・・・・このことをキリシタンの渡来と…
p25 私が法学部に入学してからの天皇および天皇制との出会いは、宮沢俊義教授の「憲法」の講義においてだった。その前年に美濃部達吉教授が天皇機関説問題で退官していたので、私は偶然にも少壮・宮沢教授の最良の講義を聴講するという幸運に浴したことにな…
p13 ヨーロッパ近代国家は「中性国家」たることにひとつの特色がある。中性国家は真理とか道徳に関して中立的立場をとり、そうした価値判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)や個人の良心にゆだねる。国家主権の基礎をかかる価値内容とは無縁な「形…
[なりゆき] 東京裁判の膨大な記録を読む者は、当時の政治権力を構成した宮廷・重臣・軍部・財界・政党等の代表的人物をほとんど網羅する証人喚問と証拠提出によって、日本政治の複雑きわまりない相貌を明らかに知ることができる。 日本帝国主義の辿った結末…
[いきおい] 「いきおい」という大和言葉と対応する漢語はふつう、勢、権勢、威などの語である。しかし「いきおい」にはもう一つ、(我々がふつうに使う用法での)「徳」という意味があった時代があり、日本の価値意識がよく示されている。日本書紀で「天皇の…
[つぎつぎに] よくもあれだけ厚顔無恥にと感心する道路の掘り返しを身近な例として、その経済効率の悪さが指摘されながら、愚劣な公共事業が少しもなくならない。私たちは頭が悪いんです、計画性がないのですと自白しているようなものなのに、公共事業の「つ…