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2010-01-01から1年間の記事一覧

ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第一巻「反ユダヤ主義 」 2

p128 自分の属する民族を裏切り、自分の出生を否認し、万人のための正義を捨てて個人的な特権を採ったという成りあがりものの後ろめたさは、十九世紀の半ば以来平均的なユダヤ人の複雑な心的傾向なるものの基底をなしていた。 誹謗される民族もしくは階級な…

ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第一巻「反ユダヤ主義 」 1

p46 ユダヤ人は、国家の(絶対君主国家→国民国家→帝国主義国家と政体を変えていくといった)体制にかかわりなく、無条件に信頼できる唯一の社会層だった。 政体が変遷するとき、宮廷貴族、地方貴族、教会、軍人、商人、職人、農民などの各階級は、自らの利…

デイビッド・シプラー 「ワーキング・プア」

憂鬱なアメリカ下層社会の報告。少し長すぎるが飛ばし読みできるページも多い。訳者あとがきによれば、人口の十三パーセントが貧困ライン(四人家族で二万ドル)以下の生活をしている。貧困者の多くは連邦政府の最低賃金(時給五・一五ドル)を下回る低賃金…

TVから 「動物ピープルの怨念」

七年前の福知山線脱線事故の(将来予想される危険を回避する設備の導入を怠ったという)責任を問われ、過去三代のJR社長が起訴された。検察が二度不起訴にしたのを検察審査会がひっくり返したもの。被害者感情という「人民の怨念」が三人を裁く。煙草を吸い…

ジョージ・オーウェル 『1984年』

『カタロニア賛歌』などで “まともな人間社会”への思いを愚直にぶつけ続けたオーウェルの傑作。戦後すぐの時期、ロシア秘密警察の暴力がむき出しの形で出てきて、圧倒的に残酷である。村上春樹が『1Q84』の下敷きにしたらしいが、安全・安心な脱イデオロギー…

トクヴィル 「アメリカの民主主義」 4

p19 (近代になって車裂きなど残酷な刑罰を行わなくなった)われわれの優しさの理由は、文明や啓蒙よりは境遇の平等に帰すべきである。人民の地位が平等であるときは誰でも他のすべての人の感覚を瞬時に判断することができる。仲間の身体が痛めつけられれば…

トクヴィル 「アメリカの民主主義」 3

第三巻 p26 共通の観念なくして共通の行動はなく、共通の行動なくしては人間は存在しても社会はない。社会が存在し繁栄するためには、市民の精神がいくつかの主要な観念によってまとめられている必要があり、教条的信仰は不可欠である。 p29−32 市民がたが…

トクヴィル 「アメリカの民主主義」 2

第二巻 p30 どんな集落にも新聞があり、それぞれがありとあらゆるやり方で政府を攻撃し、また擁護する。新聞の創刊は簡単で誰でも手を出すことができるが、競争のため大した利益は期待できない。特に有能な事業家は乗り出そうとはせず、また数が多すぎるた…

トクヴィル 「アメリカの民主主義」 1

十九世紀のフランス中級貴族が書いたアメリカ(人)論の古典である。アメリカがなぜヨーロッパ諸国を出し抜いて世界最強になりえたのか、今没落の兆しが見えているのはなぜなのか、明るいアメリカ人が時々狂ったように獰猛になるのはどうしてか・・・、フランス…

ジャック・ロンドン 「荒野の呼び声」

よくできた「野生の悪」の物語。オオカミに匹敵する体力を持つ犬橇のリーダー犬・バックを徹底的に擬人化して書きながら、その無残な世界は作為を感じさせない。ジョージ・オーウェル「1984年」に強い影響を与えたらしい。たしかに前面に出てくる動物の暴力…

TVから 「国会議員が『暴力装置』を知らない国」

先月の十八日、官房長官が自衛隊を「暴力装置」だと「失言」したとき、野党女性議員(一九七一年生)は「われわれの平和憲法を否定するものだ」として官房長官発言に抗議したという。 国家が一側面に暴力装置を抱えていることは常識である。警官は拳銃を持っ…

プーシキン 「小鳥」(井筒俊彦 訳)

異郷にあっても 故里の古いならわしを尊び守って 明るく澄んだ春の祭りの日に 一羽の小鳥を逃がしてやる。 私はしみじみなごやかな気持になる。 何を宇宙に向って不平など言うことがあろう、 ただの一羽ではあるけれど、生きものに 自由を贈ってやることがで…

平野啓一郎 「決壊」 2

この小説には「避けられない悪」のつきつめた議論がある。種の絶滅を回避する仕組みとしての圧倒的に多様な個体が、それぞれにありとあらゆる環境に投げ込まれる。しかし、個体は世界に「投げ込まれ」るのだから、本人は責任のとりようがない。ならば、遺伝…

平野啓一郎 「決壊」 1

毎年ノーベル賞候補になっているらしいベストセラー作家を超えて、日本の今世紀最大の作品ではなかろうか。売上部数ではかなわないだろうが。その人にあったような、伏線の未解決や登場人物の俗悪な台詞もまるでなく。主人公の錯乱と自殺の悲劇も確かな納得…

村上春樹 「1Q84」 2

推理小説として読めば、若いころ株式運用に天才を見せる一方で、男遍歴を重ねた柳屋敷の老婦人が物語全体の黒幕だ。教団「さきがけ」を主宰する深田(彼はオウムの林泰男を想わせる)は老婦人の「長い間うまくいっていない」長男だろうし、深田は母親の若い…

村上春樹 「1Q84」 1

数百万部も売れただけに、とてもおもしろかった。難解な文章は一箇所もなく、リピーター読者を悩ませたりしない。熱心な小説読者ではないのでよく分からないが、「大きな物語」とか「ロマン」を作らせたら圧倒的第一人者ではないか。 バカな新聞書評にあった…

リュドミラ・ウリツカヤ 「通訳ダニエル・シュタイン」下

p51 ガリラヤのラビ、イエス・キリストはたくさんのことを語りましたが、彼が伝道したことの大半を、ユダヤ人は律法としてすでに知っていました。イエスのおかげでこの戒律は世界全体に知られるところとなりました。彼はそれ以前にはまったく知られていなか…

リュドミラ・ウリツカヤ 「通訳ダニエル・シュタイン」上

分厚いヨーロッパ精神地層の基礎にあるユダヤ=原始キリスト教からは、いまだにどの現代哲学も離れることができない。離れようとすれば、哲学の論拠は数学・物理学と論理学以外になくなり、数学・物理学と論理学の普遍妥当性をいったん問えば、それはリーマン…

養老孟司 「脳のシワ」 

p180-2 聴覚系の脳はしばしば論理的である。視覚系の脳はその逆である。論理とは耳のものなのだ。目は「パッと見てとる」もので、目に理屈はじつはない。理屈はじゅんじゅんに説くもので、それは耳が得意なのである。論理は言葉によって尽くされるしかなく…

辻原 登 「許されざるもの」

「許されざるもの」とは「悪人」の意ではない。和歌山・新宮で、百年前、幸徳秋水の大逆罪事件に関連し、処刑された医師がいたらしい。この小説はその彼ら一党の鎮魂の物語であり、「未熟な国家が許さなかった民の英雄たち」の意味にとるのが正しいようだ。…

井筒俊彦 「意識と本質」 5

p273 「神以前」の無から出発する(ユダヤ的マンダラとも言える)セフィーロート体系はそのまま外に進展して世界を構成していくのではなく、むしろ内に向かって、神の内なる世界を構成していく。つまり神自身を内的に構造化する。セフィーロート体系の有機…

井筒俊彦 「意識と本質」 4

P207 一つの「元型」は、顕現の形態が文化ごとに違うばかりでなく、同一文化の圏内においてさえ、多くの違ったイマージュとなって現われる。われわれは、自分自身の深層意識領域に生起するそのような複数のイマージュ群の底に、一つの「元型」的方向性を感得…

井筒俊彦 「意識と本質」 3

P136 ここ、目の前に一本の杖があるとする。絶対無分節の存在リアリティーは「いまここでは」杖として自己分節している。だが、それは杖であるのではないと禅は言う。「本質」で固定された杖ではない。ほかの何でもあり得るのだ。(この禅的存在風景の中では…

井筒俊彦 「意識と本質」 2

P109 原子論者たちは徹底した偶然主義の立場をとる。存在界を完全な偶然性の世界と見る。経験界の一切の事物を、もはやそれ以上分割できないところまで分解し、それら相互の間に、したがってそれらの複合体も含めての経験的事物の間に、時間・空間的な隣接以…

井筒俊彦 「意識と本質」 1

「あの人の本性は一体何か」、から、「生命とは何か、神とは何か、貨幣とは何か」、まで私たちはそれらの「内部にあるように見える」モノについて見極めようとする。いわゆる「本質」を見ようとする。しかしその「内部にあるように見えるモノ」は決して物質…

小坂井敏晶 「責任という虚構」

「責任という虚構」の論旨は、書評の通り犀利である。筆致は簡潔であり、在仏30年の著者らしく Ce qui n’est pas claire n’est pas francais. の明晰さが心地よい。 p22 人の行為は意志決定があってから遂行されるという、デカルト以来の近代西欧合理主義の…

寺山修司 「身捨つるほどの祖国はありや」

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや いうまでもなく寺山修司の代表作のひとつである。田沢拓也という人の『虚人 寺山修司伝』では、下敷きとして富沢赤黄男の「一本の マッチをすれば 湖は霧」があって、その盗用だと決めつけら…

経済誌から 「企業トップの愚劣」

企業の値打ちの分かりやすい算出方法の一つに<発行株式の時価総額マイナス負債総額>というのがあるそうだ。これによれば「企業価値の最大化」は、当たり前だが、株主利益の最大化であるということになる。従来からも大株主は毎年莫大な配当所得を得ている…

小林秀雄 「ドストエフスキー」 

「ドストエフスキーの生活」 p12 子供の死は、母親にとって掛替えのない歴史上の一事件である。どのような場合でも、人間の理知は、掛替えのなさというものについては、なす処を知らない。愛児の遺品を前にして、母親の心に、このとき何がおきるかを考えれ…

亀山郁夫 「カラマーゾフの兄弟の続編を空想する」

言うことは五十ページあれば尽くせるのに、新書として二五○ページを持たせるためのつまらない冗舌があふれる凡書の典型。光文社のたぶん販売部の編集である。 著者の東京外国語大学の学長は、理屈っぽさを嫌う人たち向けの「平易な理屈」使いに長けた人間で…