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小林秀雄 「ドストエフスキー」 

 「ドストエフスキーの生活」
 p12
 子供の死は、母親にとって掛替えのない歴史上の一事件である。どのような場合でも、人間の理知は、掛替えのなさというものについては、なす処を知らない。愛児の遺品を前にして、母親の心に、このとき何がおきるかを考えれば、歴史に関する根本の認識の技術を僕らは読み取るだろう。僕らは与えられた歴史事実を見ているのではなく、与えられた史料をきっかけとして、歴史事実を創っているのだから。
 p14
 放心している時の時間は早く、期待しているときの時間は長い・・時間の謎は簡単な日常経験にも溢れているのであって、心理的錯覚というようなものでは到底説明がつかない。錯覚に陥るまいとすれば放心も期待も不可能になり、放心も期待もない生は生ではない。錯覚があるとするなら、放心や期待そのものが錯覚であろう。だが、この錯覚が疑いもなく確実なところに、時間の発明者たる僕たちの時間に関する智恵がある。
 人間の側からは手の下しようがない宇宙の「時間」を前にして、何をおいてもまず行為者たる人間が、(放心や期待という)自分の発明した時間に還らざるを得ないのは当然だ。なぜなら時間が日時計の時間から数を単位とする時間に移り、まことに精緻な物理学的世界像を手に入れたときにも、「われわれはそれを喜んでいるか」という、人間の生のただ中から発せられる困難な形而上的問いへの解は手付かずだからである。
 精緻な物理学的世界像が映っている鏡は人間が磨いたものである。鏡の研磨剤は僕らの生の不安定さである。形而上学ほど、その企図において現実的な学問もないのだが、その結果がこれほど人を誤らせるものもない。形而上学という言葉が空理空想の意味を帯びるようになったのは誰の罪によるのだろうか。自然時間はただのホワイトノイズに過ぎない。そこから楽音を拾い出そうとすることは、ある操作を自分に施せば容易である。「自分の発明した時間」の生々しいビージャ(種子)から美しい花を咲かせることはきわめて困難であるが、この困難を放擲した者の罪は最大であろう。
 p16
 あらゆる史料は生きていた人物の蛻(もぬけ)の殻にすぎぬ。一切の蛻の殻を信用しないことも、蛻の殻を集めれば人物が出来上がると信ずることも、同じように容易である。僕は一定の方法に従って歴史を書こうとは思わない。立ち還るところはやはり、ささやかな遺品と深い悲しみを材料にしてわが子の顔を描く、あの母親の確実な認識の技術の他にはない。過去が生き生きとよみがえるとき、人は自分のうちに、たがいに異なる或いはたがいに矛盾するあらゆる能力を一杯に使っていることを、彼女の悲しみは教えている。
 p136
 荒れたドストエフスキーの精神がパウロの言葉を知らなかった筈はない。「汝等若し心狂へるならば神のためなり、心確かならば汝等のためなり」


 「カラマーゾフの兄弟
 p209
 船の設計図を書くように、小説の設計図を書くことはできない。ドストエフスキーは生活の上でも、創作の上でも、計画を立てることは好きであったが、計画通り何一つやったためしはなかった。彼の生活の驚くべき無秩序については僕(小林)は充分に書いたが、そこで知りえたことは、彼の作品の驚くべき秩序が現れるためには支離滅裂な生活は必須なものだったということである。
 p211
 ドストエフスキーにとって、上手に語れる経験なぞは、経験でもなんでもない。はっきりと語れる自己などは、自己でもなんでもないのである。「カラマーゾフの兄弟」でドストエフスキーは少しも新しい問題を扱ってはいないし、また扱おうとも考えなかった。彼の創造力は「偉大なる罪人の一生」という生涯のテーマの周囲を、飽くことを知らず回っていただけである。
 p225
 「神は存在するが、人間の仔細らしい思案には余るものだ」というのがドストエフスキーが実際に自らに課した問題であった。問題のそういう出し方しか彼にはできなかった。
 p228
 パスカルは「イエスは世の終わりまで苦しむであろう。われわれは、その間眠ってはならぬ」と言ったが、ドストエフスキーもまた眠らなかった。それがある人々には彼の不眠症と見えた。                                    
 
 「罪と罰について」
 p251
 意識とは観念と行為との算術的差であって、差が零になったときに本能的行為が現われ、差が極大になったときに、人は可能的行為の林の中で道を失う。不徹底な自意識こそが安全な社会的生活の保証人である。
 p265
 何故、人間の命に無関心な怪物としての宇宙は人間の発明品であってはならないか。何故、宇宙の法則とは人間にとって可能的必然性に過ぎぬと考えてはいけないか。何故、人間に必然な可能性という全く別な何物かが勝利を得てはいけないか。
 p267
 口に出せば嘘としかならないような真実があるかも知れぬ。滑稽となって現れるほかはないような深い絶望があるかも知れぬ。
 p268
 追い詰められて川に落ちたとき、自分は死んでもよかったのだが、自分を当てにしている家族があったので、一本の藁を掴んだ。藁が神様だったかどうかは神様だけがご存知のことだ。
 p277
 カントの探求は、動かしえない道徳的公準という頂に達して、もうその先がないことを明らかにしてしまった。しかしこの問いの極限が答えとして実人生に還ってくる場合、どんなことが生ずるか。「理性批判」から新たな形而上学が生まれ、「自由」の問題は「自由主義」の問題にすりかえられる。 明敏なカント自身がそのことを知らなかったはずがあろうか。
 p279
 僕らは、歴史の方向に垂直に降りてきて、僕らを宇宙線のように貫く運動に常にさらされているのであり、この運動が僕らの内部で「デーモン」の破片として検証されるのには、僕らの意識のうちに日常は隠されているきわめて鋭敏な計器による他はない。
 まことに「人間は考える葦である」のだが、考える能力があるおかげで人間が脆弱な葦でなくなるという考えは尊大である。パスカルの意は、脆弱な葦が考えるように、まさしくそのように考えなければならぬというところにある。万物の審判者にして卑劣な蜥蜴でもある僕らは、ただ葦であるには「考え」がありすぎ、ただ考えるには「葦」でありすぎるだけなのだ。
 p285
 僕らの奥深い内部には、僕らを十重二十重に取り巻いている観念の諸形態を、原理的に否定しようとするある危険な何ものかが、必ずある。そのことがまさに僕らが生きている真の意味であり、状態であるのだ。そういう作者の洞察力に耐えるために、ラスコーリニコフは異様な忍耐を必要としているのである。 
 主人公の心理や行動、あるいは両者の連続や不連続はそれだけで十分に異様に見えるが、才気ある作家たちの模倣を許さぬものではない。しかし残酷な心理学が、いたるところで心理学的可知性を乗り越えるこの作者の思想を、才気あるものが模倣するわけにはとても行かぬ。