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2011-01-01から1年間の記事一覧

ハナ・アーレント 「責任と判断」(筑摩書房) 3

リトルロックについて考える p261 トクヴィルは一世紀も前に、権利の平等とともに、機会と条件の平等がアメリカの「法」であると語っている。平等性の原則に固有のジレンマが、社会にとってもっとも危険な挑戦になると予言していたといえる。すべてを平等に…

ハナ・アーレント 「責任と判断」(筑摩書房) 2

道徳哲学のいくつかの問題 p69 真の道徳的な問題が発生したのはナチス党員の行動によってではない。いかなる信念もなく、ただ当時の体制に<同調>しただけの人々の行動によって、問題が発生したことを見逃すべきではない。そして、これらの<普通の人々>…

ハナ・アーレント 「責任と判断」(筑摩書房) 1

プロローグ p8 かつてヨーロッパでは、緊急の際には国民生活の多様性を犠牲にしてでも「国家の統合」を維持すべきだと考えられたていた。しかし現在(一九七五年)ではすべての政府が官僚機構に転落しかかっており、こうした考え方は崩壊した。アメリカも例…

ウィリアム・ジェイムズ 「心理学」(岩波文庫)

翻訳者の「あとがき」にあるように、刊行後百年以上たっても一定以上読まれ続けている心理学研究の名著である。脳や神経系統の生理学方面については、今日の研究成果が著しいので、ジェームズの説はまったく読む必要はない。 『プラグマティズム』の著者であ…

E.M.フォースター 「眺めのいい部屋」(みすず書房)

p53 家柄と立ち居振る舞いと見破られぬ偽善にしか自分の存在理由を見出せないイギリス・ブルジョア婦人。その描写の仕方の好例。「ミス・アランはいつもこのように自分の判断に対して、慈悲深かった。一貫性を欠いた彼女の話には或るかすかなペーソスが漂い…

E・M・フォースター 「天使も踏むを恐れるところ」(みすず書房)

p71 歯医者はやっかいな存在であり、イギリスでもイタリアでも歯医者をどこの階級に入れたらいいか困ってしまう。知的専門職と商人の間をうろうろしている存在なのだ。 p79 イタリアではじつにいろいろなことを心配することができる。郵便配達人はジーノの…

グレアム・グリーン 「情事の終わり」(新潮文庫)

p137 あの頃が最もひどい時代だった。想像すること、イメージにおいて考えることはわたしの職業だ。一日に五十度も、そして、夜半に目をさませばたちまち、幕が上がって芝居が始まる。いつも同じ芝居、故意のたわむれをしているサラ、わたしと彼女がしたの…

シュンペーター 「経済発展の理論」

上巻三分の一で放棄した。二十代に書いたそうだが、若書きのせいばかりとも思われないドイツ語複文構造のわずらわしさに耐えられなかった。その文体のせいか、わたしの経済学方面の基礎知識の貧困のせいか、ぺダンティシズムの悪臭にも耐えられなかった。あ…

漱石文明論集 2(岩波文庫)

「私の個人主義」 p132 いくら私が汚辱を感ずるようなことに出会っても、助力を頼みたい相手の気が進まないうちは、決して助力を頼めない、そこが個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らかにして去就を定めるのだ…

漱石文明論集 1(岩波文庫)

漱石の「思想」を理解するうえでもっとも重要とされる文明評論。「吾人(われわれ)の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうである」ことについて、いま日本の誰がこれだけ上等の日本語を操れるだろう。漱石が聴衆を大笑いさせる演説の上手とは知らなかった…

TVから 「右利きと左利き」

旧石器の分析を通じて、古生人類は百万年前から一万年前まで、五十五%が右利き、四十五%が左利きであることが分かっているという。それが一万年前から五千年前の新石器時代になると右利き九十%、左利き十%と、右利きが圧倒的になり現在も変っていない。…

リースマン 「孤独な群集」日本語版への序文

p2 多くの学者や批評家たちは日本人を「他人指向的」と批判的に語る。確信を欠き依存的だということである。しかしそれは、狂信的で排外的で他人のことを一向に気にかけない態度を、日本人は克服しているとも言えるのではないか。 p14 マルクスやウェーバ…

ウィリアム・ジェイムズ 「プラグマティズム」 4

p168 先験的合理主義者にとっては、プラグマティズムが言う「経験によって成就しつつある真理」などは「心理学的な事実」、「思想家めいめいの考え」でしかない。彼らは、経験相にある泥まみれの実例の背後に、より高い真理の相があると考える。机上であれ…

ウィリアム・ジェイムズ 「プラグマティズム」 3

p87 世界の設計者が誰であるかが問題なのではない。その設計が何であるか、世界とは何であるかがはるかに大きい問題なのだ。 世界に生み出されるものが何であろうと、たとえば最近の大噴火や大洪水による人畜の死、家屋の崩壊、船の沈没などすべてが起きる…

ウィリアム・ジェイムズ 「プラグマティズム」 2

p59 もし神学上の諸観念が、ある人の人生にとって価値のあることが事実ならば、その観念はその限りにおいて善であることを、プラグマティズムは認める。なぜならその観念がどれだけ真であるかということは、その人にとって重要な、他の真理との関係に依存し…

ウィリアム・ジェイムズ 「プラグマティズム」 1

p33−34 ある哲学者に対するわれわれの好悪の反応は、その哲学者が要点をかいつまんでゆく感応の正確さに左右される。それが読者に、ジグソーパズルの正しいピースのように、問題にぴったり嵌合する印象を与えられないとき、その哲学者の体系は社会から受け…

ペール・ラーゲルクヴィスト 「バラバ」

ペール・ラーゲルクヴィストは、不勉強のせいで、名前も知らない作家だったが、本屋に平積みされてあったので気が動いて読んでみると、傑作だった。イエス・キリストの磔刑の日は、本来は、本書の主人公である極悪人バラバが処刑されるはずの日であった。そ…

「軽蔑」と「白い巨塔」

一年ほど前、たまたま同じ日のTVで、フランスと日本の「古典映画」を二つ見た。ジャン=リュック・ゴダール「軽蔑」と山本薩夫「白い巨塔」。二作ともほぼ同年、わたしが高校生だったころ、50年前に制作されたものだ。 「軽蔑」の絵画的な画面構成の美しさ…

菅野昭正 「明日への回想」

ポール・ヴァレリーやヴィリエ・ド・リラダン、レーモン・クノーなどの翻訳で知られる著者の、子供時代から敗戦後の大学卒業までの回想記。よく抑制された文章のなかで、周囲を拾いながら、自分を確認しながら対象に丁寧に迫っていこうとする穏やかな知識人…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 7

p214 (アイヒマンに絞首刑を宣告するアーレントの、煮えたぎる怒りを冷静に抑え込んだ「判決文」) あなたは、最終的解決におけるあなたの役割はたまたまにすぎず、どんな人間でもあなたの代わりにやれた、潜在的にはほとんどすべてのドイツ人が同罪である…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 6

p173 アイヒマンの公判には、強制収容所の過酷な状況を証言する証人が八十二人いた。これらのほとんどは個々の事実については具体的証明のできない「全般状況証人」だった。うち五十三人はアイヒマンがなんの権限も持たなかったポーランドとリトアニアから…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 5

p121 古代ローマ以来、ヨーロッパ史を通して、ユダヤ人は悲惨においても栄光においてもヨーロッパ国民共同体に属していた。過去五世紀は栄光の機会もきわめて多く、ユダヤ人なきヨーロッパは西欧や中欧では想像が難しかった。 ヨーロッパ諸国民の形成と国民…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 4

p84 ナチは、絶滅収容所の殺害者部隊に、自分の行為に快感を覚えるような人間が選ばれないよう、周到な方法をとった。その絶滅収容所の指揮官には、ナチ最上層の人間が、学位を持つSSエリートたちを直接選抜した。彼ら指揮官の頭にあるのは(ヨーロッパ大…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 3

p55 「客観性」に対するドイツ人のかたくなな性癖は有名である。アイヒマンのドイツ人弁護人セルヴァティウス博士はイェルサレム裁判の口頭弁論の中で 「問題は殺すということであり、生命に関することなのだから、政治的な事柄ではなく医学上の問題なので…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 2

p32 勉強が苦手でほとんど本を読まず父親を嘆かせていたアイヒマンは、シオニズム運動のさきがけとなったヘルツルの『ユダヤ人国家』を読んでたちまちで心酔し、自分が「理想主義者」であることを発見してしまった。理想主義者とはアイヒマンによれば、自分…

ハナ・アーレント 「イェルサレムのアイヒマン」 1

p4 (第二次大戦直後時点での)イスラエル家族法制では、国内でのユダヤ人と非ユダヤ人の結婚は認めていない。外国で行われた結婚は認められるが、生まれた子供は私生児とされる。国内での、結婚していないユダヤ人同士の子供は嫡出とされる。非ユダヤ人を…

清水 徹 「ヴァレリー 知性と感性の相克」

ポール・ヴァレリーやステファーヌ・マラルメ、マルグリッド・デュラスの翻訳者として名高い人の駄作である。 六○年〜八○年代に学生だった世代には魅力的な、二十一世紀にはセピア色になってしまったタイトルに引かれて読んでみたが、最初の三十ページで通読…

バルザック 「絶対の探求」

初版は一八三四年、ナポレオン没落と二月革命のちょうどまん中の時期である。p137ではナポレオンの敗北も言及されている。 『戦争と平和』に三十年以上先立つ。プロットは平板で微笑を誘うところもあるが、それはボヴァリーも同じ。ただバルザックは、フロ…

フローベール 「ボヴァリー夫人」

ボヴァリーくらい読まなくてはと思って本棚の奥から出したら、いつだったのだろう、読んだ形跡を見つける。十九頁「いや沈んだといったほうがいい、やっぱり底のほうになにか残っていますからな。重石のようなものが、ここに、胸の上に。」に傍線がある。二…

トルストイ 「戦争と平和」 2

p395あたり トルストイは戦闘シーンをまったく描けない。ボロジノの会戦で両陣営の配置図を自分で添えながら、文章ではその大まかな動きさえ伝えることができていない。貴族のサロンでの微妙な会話は、仄めかし、あてこすりをうんざりするほどに連ねながら…