第20講 主権的国民国家の形成へ
p279-82 福沢の独立国家論・戦争論
維新直後、国民の精神的真空状態への「識者の対応策」としてあらわれた「キリスト教立国論」を批判するなかで、福沢は「国家の存在理由」を力説しました。そこにおいて、福沢は宗教的愛敵の精神と国際間のパワーポリティクスとは相いれないことを述べた個所で、「戦争で人を殺すことは宗教の旨に対しては汚らわしいことであるが、今の文明ではやむをえないことであって、戦争は独立国の権義を伸ばすための手段である」と断言しています。それまで福沢は幕末以来、世人の「気風の奥底」にある攘夷論を歯牙にもかけないことを公言してきましたから、読者の方々はこういう戦争容認論はそれまでの攘夷ナショナリズム批判とは矛盾するのではないかと、不審を抱かれるかもしれません。
本書『文明論之概略を読む』は福沢の転向論を扱うものではありません。ただ『概略』に即しても、「一般論」として国際戦争の歴史的な位置づけを簡単に述べることで、上の疑問に間接的ながらお答えすることができます。
なにより、ある種の戦争が国際法上で違法とされるようになったのは、きわめて最近のことだということです。第一次大戦前には平時国際法と戦時国際法の、二つの国際法がありました。主権国家は国際紛争の解決手段として、戦争と平和を自由に選びうることが近代国際法の常識だったからこそ、「戦時国際法」という名称が普通に通用していたのです。
第一次大戦後のヴェルサイユ条約に含まれた国際連盟規約と、それに次いだ不戦条約(1928年)によって、日本を含む調印国は、国際紛争解決のために戦争に訴えないこと、および国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、「人民の名において」宣言しました。こうして、侵略戦争に対する自衛の戦争と、侵略国家に対する集団安全保障にもとづく軍事的制裁を除いて、戦争ははじめて、国家による犯罪行為とされるようになったのです。その精神は第二次大戦後の国際連合によってさらに強化されました。
第二次大戦後の「戦争犯罪人」という新しい法概念、とくに、一国の最高戦争指導者を国際的戦争犯罪人として裁く観念の登場は、まさに戦争観のこうした画期的な変化を前提にしてはじめて理解できます。もちろん、これはたんに戦争に対する抽象的道義感が高まったのではなくて、テクノロジーの地球的発達による主権国家の相互依存性が著しく増大していることが、最大の理由です。
したがって、戦争がつねに核の危険を内包するにいたった今日のイメージを、福沢の生きていた19世紀に投影することは著しく非歴史的なのです。戦争は独立国の権義を伸ばす手段だとする福沢の断言は当時の世界常識を述べたものであり、福沢が戦争と人間の道義性を結び付けたりしないで、「今の文明では」やむをえないことであるという限定を付けたところにこそ注目すべきであると思います。