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平野啓一郎 「一月物語」

 平野が好きな森鴎外をまねて、若いときに一度は書いておきたかったであろうことが匂う。デビュー作「日蝕」のスケールをやや小さくして、話を熊野古道の幻奇譚にとどめ、その代わりに細部まで書き込んだ習作だ。
 ここから「決壊」まではずいぶん遠いが、平野の、鴎外の恐るべき語彙と花崗岩のように身じろぎしない統辞法への傾倒はよく分かる。巨匠に私淑し、箸の置き方まで学ぼうとする滑稽さはなく、修辞もよく完成されていた。ただ「決壊」を読んでしまえば、才能ある作家が鍛造中の刀の切れ味を試してみた作品であることは明らかだ。芥川賞作家だからこそ出版でき、少しは売れもしただろう(一万部は売れなかったか?)。
 解説を書いた某劇作家の「これは現代の神話である」云々のほうが、よほどおおげさに構えすぎておかしかった。平野と個人的に親しいのだろうか。素人を惑わすようなことは言わないほうがいい。「鴎外をまねた擬古文でファンタジーを書けばここまではできるぞということを示した、己を恃む平野の雨月物語である」で十分ではないか。