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井筒俊彦 「イスラーム思想史」 1

P14−24
 アラビア人は、どんな微細なものにも、一々特色のある名をつける。例えばサンスクリットに典型的に見られるような、共通の要素を基とし、それに他の要素をいろいろ組み合わせて新しい語を作る、いわゆる合成語は、個物を絶対的に尊ぶアラビア人の精神――そしてより一般的にはセム人の世界受容の根本的態度――に全く反するものである。
 彼らが霊魂に関して書き残したものを見ると、その霊魂感のあまりに物質的なのに、われわれは驚かざるを得ない。言い換えれば彼らは常に霊魂を視覚的に表象していた。ここに彼らの(私にとっては西洋人への共感を妨げる根本原因である)人格神の根底がある。
 しかし、歴史の流れはイスラームを、この砂漠的精神をそのまま体現するような形では発展させなかった。教徒たちはムハンマドの死後たちまちのうちにメソポタミア、シリア、ペルシャ、トルコ、北アフリカ諸国を征服し、インドにまで勢力を伸ばした。これらの古代文化圏においてアラビア砂漠の現実主義・個物主義は全く異質な精神に衝突し、それらとの対決を迫られた。
 純アラビア砂漠的精神は後退し、そこにできた空間にビザンチンキリスト教の神学が、古代ギリシャ的哲学精神が、ペルシャゾロアスター的二元論が、シリアの透徹した理性が、ヘレニズム的グノーシス神秘主義が、目もあやに錯綜しつつ新しい思想を織り出して行った。しかも一方、砂漠的精神を代表するコーランは一字一句が聖なる神の言葉として厳然としてそれらの思想潮流の前に立ちはだかった。