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ハナ・アーレント 「全体主義の起源」第二巻「帝国主義」 3

 p89
 イギリスにおいては、古い名門貴族と市民階級の中間にあったジェントリーがブルジョワジーの上層部をたえず同化し貴族化させていた。その結果、イギリス階級社会のきわめて硬直的な性格にもかかわらず、この国では貴族への上昇の可能性が開けていた。このことで、不平等がイギリス社会の基礎であったにもかかわらず、貴族は国民の一部となりきり、強い国民的責任感を抱くようになっていた。
 しかし同時にこの過程は、貴族の規範と概念を国民全体の共同財産と見なしやすくした。人種理論の発展においてみれば、淘汰とか生物学的遺伝質とかの観念がどこの国よりも国民的になったのであり、いわゆる優生学はすべてイギリスに起源を持っている。
 p89
 異民族との大きな純肉体的相違は彼らを当惑させ、悩ませ続けた。ヴォルテールの次の言葉を実感として味わう必要がある。「黒人と白人が互いに初めて出会ったとき、彼らの驚きは如何ばかりであったろうか」。このやりきれない困惑への反応のひとつが人種理論である。
 p92
 人種多元論によれば異人種間の結婚から生まれる子供はどの人種にも属さない人間、「すべての細胞が内戦の舞台」である怪物になる。
 ダーウィニズムの圧勝の主な原因はその政治的不特定性、つまりそれが時代の気分をごく一般的に反映し、それらの本質的要素をすべてなんらかに形で取り上げていたという事実にある。つまり人間ばかりでなくすべての生物は類縁関係で結ばれており、低級人種の存在は人間と動物の間に本質的相違はなく、発展段階的な相違があるにすぐないことを明瞭に示しているという、科学信仰と世情の観察を混合させた時代の気分である。
 だからダーウィニズムはどんな利用の仕方でもできた。人種支配を信ずることも階級支配を信ずることも可能だったし、歴史を人種闘争としても階級闘争としても説明できた。ほとんどあらゆるイデオロギーに利用可能であり、平和主義者にも、コスモポリタンにも、帝国主義者にもダーウィニストがいるのは実に特徴的である。
 p93
 しかしダーウィニズムも、政治的成功だけがそのイデオロギーの正当性を保障できるというジレンマを免れなかった。イギリス支配階級が安泰を失い、「自然が最適者として選び出した者たち」が明日もそうであることが疑わしくなった途端、力と正義のすべての根拠が揺らぎ始めた。
 p94
 初期の進化論信奉者は、人間がサルから生まれたことを信ずるのと同じゆるぎない確信をもって人間が将来天使になることを信じていた。したがって優生学者は、遺伝理論にもとづいて天才を育種すれば、政治の産物ではなく自然の産物たる貴族を成立させることができると大真面目に信じていた。これは十九世紀知識人に一番人気のあった思い付きの一つである。
 p106
 ボーア人は、暗黒大陸に犇いていた人間とも動物ともつかぬ存在に恐怖した。こんな人間と一緒にされるのは絶対に御免こうむるという決心が生まれ、キリスト教=ユダヤ教的伝統が教える人類同一起源の理念は説得力を失ってしまった。
 p121
 ボーア人たちを襲ったのはこの黒人たちもやはり人間であるという戦慄だった。この戦慄には、人間であることの事実、人間は黒い皮膚をもち野生動物のように犇くものでもありうるという事実そのものへの絶望が潜んでいた。この不安から生まれたのが(イスラエルのように)自分たちを選民とするボーア人の新しい宗教であり、その基本的ドグマは選民だけが持つ白い皮膚である。ナチの文筆家たちの多くがアフリカ生まれの在外ドイツ人だったことは偶然ではない。
 p122
 この黒人たちについて一つだけ確かなことは、土壌、気候などの自然が、彼らに特別に過酷に敵対し、ヨーロッパの国家形成の基礎をなしていたつましい農民生活をすら、彼らに保障しなかったことである。ヨーロッパ人に対し彼らが肉体的にも厭わしく感じられたのは、彼らが救いようもなく自然に隷属しており、たとえば隣家の煙突の煙といった、「わずらわしいが間違いなく同胞のものではあるという人間としての世界」を対置できなかったからである。法や国家といった人間世界が築けない人間は、ヨーロッパ人には半人間・半動物にしか見えなかった。
 p123
 アフリカの人種部族が初期人類の残滓なのか、滅亡文明から落ちこぼれて生き延びたものなのかは分からないが、われわれは、彼らがわれわれに理解可能な世界を持たないとしか言いようがない。アフリカの恐るべき血なまぐさい破壊と無法状態はこの「われわれに理解可能な世界を持たない」ことから来る。
 十九世紀の初めにズールー諸族を統一して規律と戦闘力のある軍隊に仕立てたチャカ王にしても、彼はそのことでズールー国家を創設したわけではなかった。彼はただ百万以上の敵対部族を根絶しただけである。