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トルストイ 「戦争と平和」 2

 p395あたり
 トルストイは戦闘シーンをまったく描けない。ボロジノの会戦で両陣営の配置図を自分で添えながら、文章ではその大まかな動きさえ伝えることができていない。貴族のサロンでの微妙な会話は、仄めかし、あてこすりをうんざりするほどに連ねながら、砲弾の飛び交う場面は 「弾丸が、速く、陰にこもった唸り声をたて、ときには榴弾が、感じのいい口笛のような音を立てて群集の上を続けざまに飛んでいった」 とサーカスを描写するように書いている。アウステルリッツの会戦でもそうだった。
 伏線がまったく張られていない。この時代はそうだったのだろうか。トルストイがロシア的世界の説教を大真面目にしたいためにだけ書いたので、「伏線など物語的なものは不道徳である」としたのだろうか。
 数箇所はある。たとえば第五巻p166の、街中に野放しにされた精神障害者。しかしそれは伏線であることは十ページ後にわかってしまって、読者を「トルストイの物語作者としての技術はこの程度か」と落胆させる。
 最後の「著者あとがき」に言うようにたしかにこれは「小説」ではなく、構成はきわめていい加減である。トルストイが言いたいことだけを時間軸に沿って喋り、叙述文だけではいかにも味気ないのでナターシャ、ピエール、アンドレイを創作し全体の基本食材に仕立て上げただけである。三人ともその台詞はぎこちなくトルストイの世界観を年齢と性別と生活環境にあわせた単語で変奏しているにすぎない。自動人形であるかれらが気の効いた会話でもって各章を引っ張って行くというところがない。
 人物の転変と戦争の経緯だけなら、三千ページも書かずに半分の長さで十分である。トルストイ自身が重苦しいおしゃべりの好きな説教好き老人でなかったら、宮廷サロンの長話などは八割はカットできるのではないか。
 ところで、この戦争にはクラウゼヴィッツプロシアの将軍として参加していた。「戦争の真理を、その真理は自分が考え出したものに過ぎないのに絶対的な真理と思っていた」とトルストイにこき下ろされるドイツ人クラウゼヴィッツは、「何かを完全に知ることができるなどとは信じていない」ロシア人トルストイにとって、全軍の指揮などは到底任せられない無責任貴族の一人に過ぎなかっただろう。だから名著『戦争論』を書いた彼も、ここには出る幕がなかった。
  
 第五巻 p28
 「総司令官は、われわれ書斎の中の人間のように、その出来事の発端という状況の中にいることは決してない。総司令官はいつでも一連の出来事の流れのまっただなかにおり、進行中の出来事の意味全体をよく考えることができないような立場にいる。・・・かれは策動、陰謀、心労、従属、権力、提案、脅迫、欺瞞の渦中にあり、常に互いに矛盾した無数の質問に答えなければならない必要に、たえず迫られている。」トルストイは、私たちの数学が手に入れた「複雑系」の概念を、当然ながらまだ知らなかった。
 p433−446
 決して行き届かない総司令官の命令、現場司令官の勝手気まま、進軍より重視される現地有力者とのダンスパーティ、物価統制を利用する役人の収賄・・・。
 現代でもロシア進出の日本商社の現地人労働規約は、それがいかにきちんとした契約であっても、“土と熊とウォッカの自由”で何百年も暮らしてきたロシアの百姓が、短時日のあいだにドロドロ状態にしてしまうという。ましてナポレオンの軍隊は十カ国の多国籍軍であり、しかもプロシア以東のスラブ民族がかなりの割合を占めていた。多国籍軍は“土と熊とウォッカ”の百姓の傭兵であり、まだ発展途上にすぎなかった近代西欧流の規律をそこに当てはめるのは無理だった。

 p460あたり
 モスクワ陥落後もロシア軍は敗走を続けた。しかしそれは奥深くへ敵を引き込むためではなく、糧秣をもとめての南部リャザン方面への側面退却だった。それを追う途中タルチノでフランス多国籍軍は、側面退却のあいだに時間を稼ぎ十分な物資、体力を回復した敵軍に初めて完敗した。モスクワで自軍の腐敗に手を焼いていたナポレオンは「討伐」に動き出したが、士気を戻したロシア正規軍や活発なパルチザンの襲撃などによって、「討伐」はそのまま撤退に変わり始めた。モスクワでの略奪物資を運ぶ馬車の長大な列、つまり軍隊の腐敗がその撤退をきわめて困難なものにした。 
 第六巻p25あたり
 トルストイの戦争知識の素人ぶりが目に付く。とくにフランス軍退却時のパルチザンの活躍については、民衆の活躍に対するトルストイの熱狂が叙述の混乱になって暴露される。「パルチザンが集団で攻撃すべきときに実際はばらばらなってしまうのは、個々人の士気が大いに高まって自分の身を危険にさらすことを強制される必要がなかったからである」などととんでもないことを言う。パルチザンに統制が取れていなかっただけのことを。
 全巻をとおして戦闘シーンがほとんど書かれていないのは、単純にトルストイが兵隊と軍全体の動きを書く技術がなかったからではないのか 第四部第三篇(第六巻120ページ)であきらめる。ここまででも、ロシアの講談話のような、無反省の世界観に怒りながらよく読んだものだ。つらい五週間だった。巻末、訳者の「戦闘シーンはすごい」という狂信者のような言葉に呆れた。無批判の「文豪」信仰心と商業主義。
 トルストイ晩年の不幸は、上から目線で説教するもったいぶった自己満足人間の当然の帰結だった、というのはかわいそうだろうか。源氏物語戦争と平和は、その長さゆえに批判を許さないブランドになったのではなかろうかとさえ思う。