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ハナ・アーレント 「責任と判断」(筑摩書房) 3

 リトルロックについて考える
 p261
 トクヴィルは一世紀も前に、権利の平等とともに、機会と条件の平等がアメリカの「法」であると語っている。平等性の原則に固有のジレンマが、社会にとってもっとも危険な挑戦になると予言していたといえる。すべてを平等に扱うという、いかにもアメリカらしい平等性は、潜在的能力までも平等に見なしてしまう巨大な力をそなえていた。
 「平等」の危険性についてアラン・ブルームは『アメリカン・マインドの終焉』(p277)で言う。(誰もが大好きな)自由にとって必要なのは、他に選択できる思想が現にある、ということだ。外なる世界がありうるという感覚がなければ、自由とは無縁である。内なる思想と根本原理に差異を認めなければ、それはアメリカ人が最も嫌ってきたはずの画一主義である。ところが民主主義・ポピュリズムに伴う多くの事柄が差異の意識を攻撃している。
 p265
 平等が有効なのは政治的領域に限られるのは明らかであるのに、<進歩的な教育>は、自然と起源において異なるものまで平等にしようとする。そうすることで、平等が政治的にのみ有効であることを知る大人の権威を失墜させ、子供が生まれてきた平等ならざる世界に対する責任を暗黙のうちに拒む。厳しい差別が待ち受ける世界において子供たちを導く義務を拒否するのである。
 p270
 自然と起源において異なるものを、社会が(伝統と習俗によって)差別し、政府がその社会的差別を法律によって施行するとき、それは迫害となる。南部の多くの州は迫害の罪を犯しているのである。逆に、政府がその社会的差別を法律によって廃止するとき、社会の自由は奪われる。連邦政府公民権を無思慮に扱うなら、政府は社会の自由を奪う恐れがある。
 平等は政治の領域にのみ有効なのだから、社会の差別にはいかなる法的措置もとることができない。社会的な圏域には平等性という原則は通用しないのである。
 p280
 ドイツ軍がローマを占領した際、カトリックユダヤ人を含む多くのユダヤ人がバチカンの窓の下から引っ立てられ、絶滅収容所行きの群れのなかに投じられたときにも、ローマ教皇ピウス十二世はひとことの抗議すらしなかった。「もっとましな教皇がいたら、ローマ教皇庁は沈黙を守らなかったはずだ」というのは本当だろうか、と『神の代理人』のホーホフートは疑っている。
 p306
 アウシュビッツ裁判に訴追された小物たちは、「ナチスの元大佐や将軍といった当時のお偉方だった証人が、自分の心についてまったく吟味もせず、ゲルマンの英雄というかけ離れた世界から、どれほど容易に、現在のブルジョワ世界の尊敬すべき人物に戻るのか」感心せざるを得なかった。親衛隊の「神々の世界」に住んでいた過去の大物たちは証言が終わると「こんどはアデナウアーの率いる市民社会の大物として、前を向いて、しっかりした足どりで、法廷から立ち去ることができた」のである。
 
 身から出たさび
 p343
 三十年代の大不況を制御できた国はない。アメリカのニューディールもワイマールの緊急勅令も無力だった。大不況が終わったのは戦時経済への移行によってだった。ドイツではヒトラーが一九三六年までに不況と失業を解消し、アメリカでは第二次大戦参戦で戦時経済への移行が行われたが、当時も複雑な経済理論がこの事実を覆い隠したので、世間は懸念を抱かなかった。
 p344
 この事実を指摘したのはセイモア・メルマンだけである。メルマンは「企業の仕事は商品を生産することではなく、雇用を提供することにある」と繰り返しのべたが、公的な議論では見逃されたままになった。自動車生産は移動手段の提供が目的ではなく、雇用維持のために車は作られる、というのは現在ではだれもが受け入れている。