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朝吹真理子 「流跡」(新潮社)

 若い(美しいかどうかは知らない)女性の文章であることは明らかなのだが、そうした俗事を少しも感じさせない、透きとおった清清しい才能である。原稿のパソコン画面を見るのとはもうひとつの目でいつも男性を意識している、生っぽい意地やうらみごとなどが一冊のどのページにもなくて、流れ来て流れ行く、女性に生まれた自分の言葉だけを見つめている。難しい幻想小説だが、この文体で長編は書けるのだろうか。書ければすばらしい。
 p31
 はじめは何も考えないようにするということがつらかった。しかしそれに馴れるとだんだんと自動的に何も考えなくてすむようになる。考えない、考える、といったことすべてが遠のいてどうでもいいようになる。考えようとしないようにすること自体が億劫になって、そうしてまるでなにも考えなくなる。
 p64
 幻を目が見てしまうというより、そうした幻を見る目そのものをこの意識が作り出しているのかもしれない。なぜ見えているかなどはどうでもいい。いっさいが脳の誤認による伝達反応であるとしてもかまわない。現にそれははっきりと見えている。見えている人には現実そのものである。