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内田 樹 「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)1/2

 源流の一つはマルクス 
 p25-32
 構造主義の考え方が「常識」に登録されたのは一九六○年代のことです。構造主義というのは、ひとことで言うと次のような考え方のことです。
 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、そのことが私たちのものの考え方、感じ方、見方を基本的なところで決定している。私たちは自分が思っているほど自由にものを見ているわけではない。むしろほとんどの場合、自分が属する社会集団が受け入れたものだけを「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられ」ている。そして自分が属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、当然ながら以後、自分たちの視野に入ることがなくなり、それゆえ、自分たちの感受性に触れることも、思索の主題になることもなくなる・・・・・・・。
 自分の思考や判断はどんな特殊な条件によって成り立っているのか、という問いを突き詰め、それを「日常の生き方」にリンクさせる道筋を最初に発見したのは、意外にもカール・マルクスです。構造主義の源流の一つは紛れもなくマルクスです。
 マルクスが指摘したのは、人間は「どの階級に属するか」によってものの見え方が変わってくる、ということです。人間の中心には「人間そのもの」――普遍的人間性――が宿り、それは大人であろうと子供であろうと、男であろうと女であろうと変わることはない、・・・・・・・・マルクスはそのような人間観を退けました。人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものかであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定される、マルクスはそう考えました。
 人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間はおのれの本質を見てとる、というのがマルクスの人間観です。
 生産=労働による社会関係に踏み込む前に、あらかじめ「私」だけが自分の本質や特性を決定できる「私」・・・・、そんな「私」は存在しません。というのも、「私」は、他人たちの中に投げ入れられた「私」を風景として眺めることによってしか、自分を直観できないからです。
 それは子供のいない人に内在する「親の愛」とかと同じものです。潜在的にはあるのかもしれませんが、現実の人間関係の中におかれないかぎり、それが「ほんとうにあるのかどうか」を検証する手立てはありません。
 フーコー 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない
 p81−3
 私たちは歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向があります。歴史は過去から現在めざしてまっすぐに流れており、世界の中心は「ここ」であり、世界を解釈しその意味を決定する最終的な審級はほかならぬこの「私」である、というふうに私たちは考えています。だから、歴史は次々と「よりよいもの」、「より真実なもの」が顕現してくる、してこなければならないプロセスとして理解されます。
 これに対してフーコーは、「歴史の直線的推移」は幻想であると考えます。現実の一部だけをとらえ、それ以外の可能性から組織的に目を逸らさない限り、歴史を貫く「線」というものは見えてこないと考えます。
 逆に言えば、テレビを眺め、新聞を読んでいる「普通の私たち」は、現実の一部だけしかとらえられませんから、そして自分にとって不都合な事実には目を逸らそうとしますから、歴史を貫く「線」というものが見えてくるように思うわけです。
 分かりやすい例を挙げると、私・内田はときどき 「庄内藩士内田家の末裔である」、という名乗りをすることがあります。しかし、考えてみると、その名乗りをしたとき私は母親の血筋は無視してしまっているわけです。
 このように、自分が「誰々の子孫であるか」ということは、ずいぶん恣意的な、他の先祖たちを無視した決定です。私には四人の祖父母がいるはずなのに、そのうち三人を排除し、内田家の祖父一人だけを祖先に指名しているからです。
 n代遡ると、私たちには二のn乗数の祖先がいるわけです。ですからそのうちの一人だけの姓を名乗り、「・・・・・家の末裔」を称するということは、ほとんどの祖先を忘却のかなたに葬り去ることに同意したことにほかなりません。
 同じことは、自分を「純血日本人」と名乗るときにもあらわれます。何十代か遡れば、私の祖先の中には間違いなく外国人や日本国内の少数民族がいるはずです。私がある祖先をおのれの「直系」として選択し、自分の「純血日本人性」を奉じているということは、言い換えれば、膨大な数の血縁者を私の系統から組織的に排除したということにほかなりません。
 p87-91
 フーコーは、歴史を「生成の現場」にまで遡行することで、いくつもの「常識」を覆しました。そのなかでいちばん衝撃的なものは、精神疾患における「健常/異常」の境界、という概念です。
 精神病者の「囲い込み」は、ヨーロッパでは一七〜一八世紀に近代の都市と国家と家族が成立するとともに始まりました。近代以前には、精神病者は「悪魔に取り付かれた人」であり、「罪に堕ちる」ことの具体的様態であると見なされました。だから狂人は、共同体全員が信仰を持つことの大切さの「生きた教訓」として、共同体内部にあって教化的な機能を果たしていたのです。
 わが国でも、事情はほとんど同じです。能には『隅田川』、『葵上』、『巻絹』などの名作において、「ものぐるい」の女性がしばしば登場します。彼女たちは現実の世界と異界とを接合し、観客に、現実の解釈可能性のひろがりや、事件のもつ意味の深みというものを見せてくれます。
 しかし、近代とともに、「いま・ここ・私」重視の視点がしだいに根を下すにつれて、世界は「標準的な人間」だけが住む場所になり、「人間の標準」からはずれたものは社会から組織的に排除されることになりました。ようやく離陸を始めた近代医学という「知」と政治が、「標準的な人間」が納得ずくの共犯関係を結んで、精神病者、奇形、浮浪者、乞食、貧民などさまざまな「非標準的な個体」を、ソフトにしかし徹底的に都市の表面から排除し始めました。
 この排除システムは完璧に機能しているように見えます。私たちの周囲に 「いま・ここ・私」主義でない人を見つけることが難しいということ、 精神病者、奇形、浮浪者、乞食、貧民という単語がすべて放送コードに引っ掛かることなどは、その完璧性の証明です。