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小谷野 敦 「日本人のための世界史入門」(新潮新書)1/2

 今年二月二○日発行。私が買った四月五日の版で八刷だから、多分いま人気の本である。
 「世界史」がたしかに楽しく読める。西洋史と東洋史が、高校の教科書的な事実羅列に終わらず、事実の背後に少しだけ踏み込んでポイントが分かりやすく書いてある。例えば175ページの次のようなくだり。

 「一六○三年にエリザベス女王が死んで、スコットランドのジェイムズ六世がジェイムズ一世として即位、これ以後はイングランドスコットランドアイルランドは同じ国王を戴く別の国ということになる。日本人から見ると、よく平然と他国から王を連れてくるものだと思う。イングランドはこれ以後も、オランダやドイツから王を連れてきている。おそらく西洋の人間には、王とか貴族というものは、何か別種の生き物だったのだろう。」・・・・・読者に向かって 「あなた方の皇室観は、西洋の王室観とはずいぶん違うんですよ、日本のほうが特殊なのかもね。」ということがさらりと書いてある。
 また例えば191-2ページ。フランコの独裁下にあったスペインは第二次大戦で中立を守ったため、その後も独裁が一九七七年のフランコの死まで続く。スイスは神聖ローマ帝国から独立して永世中立国となったが、これは国民皆兵の強力な軍隊で国境を守り、スイス銀行を作って世界の裏金を預かるなど、国際倫理をかえりみないことで成り立っている」という具合である。
 読解の難易度は全ページほぼこの程度。読みやすい。新幹線出張で東京・大阪を往復する間には読み終えられる人もいるだろう。世界でいちばん自国論が好きらしい私たちのためにわざわざ 「日本人のための」 というキャッチコピーが付けられていることと相まって、短時日に八刷を重ねたのももっともである。統辞法が怪しくなるのが数箇所(後半部では例えば232ページの第6〜8行)あったが、そんなものは無視すればいい。
 「あとがき」のサブタイトルが振るっている。「だいたいでええんや」という大阪弁だ。一般の読者は西洋と東洋の三○○○年を、たった二五○ページの新書で分かった気になろうというのだから、事実の理解も、(あとで述べるような)解釈・感想文としての物語の理解も、「だいたいでええ」というわけである。車中で読み終わった人は安心する。
 とはいえ、誤った史実理解もいくつかある。大きな瑕疵というほどではないが、少しは気になる。
 120〜121ページに「今日本では・・・・・十二世紀ごろの西欧ではプラトンアリストテレスが失われていて・・・・アラブの学者が翻訳していたものを当時の西欧人が逆輸入していたと理解されているが、事実は単にプラトンアリストテレスが当時重視されていなかったということに過ぎない」と書かれている。
 しかしこの小谷野説はどうだろう。岩波文庫版『コーラン』の翻訳者であり、イスラム哲学・仏教哲学の世界的碩学である井筒俊彦の『イスラーム思想史』(中公文庫)352ページあたりには次のような記述がある。
 「十二〜三世紀、西欧キリスト教哲学に深甚な影響を及ぼした第一級のイスラーム思想家に、当時イスラム支配下にあったスペイン・コルドバのアヴェロイス(=イブン・ルシド)がいる。
 「彼の手になるアリストテレス注釈のほとんどは、発足間もないパリ大学の学僧・知識人によってラテン語に翻訳され、トマス・アクイナス、ロジャー・ベーコンをはじめとするヨーロッパ中のキリスト教神学者に貪り読まれた。カトリック神学は、このアヴェロイス解釈のアリストテレスによって思弁の高みを極めたといわれている。
「しかし同時に時間、運動、質料、形相、可能態、現実態などアリストテレス哲学の重要な鍵概念は、その後のカトリック教会にとって危険な異端思想に根拠を与えることにもなった。」
 ・・・・・小谷野氏には申し訳ないが、この領域での井筒俊彦の業績は、もちろん日本では並ぶものがない。

 散々な結果に終わった十字軍時代は、ヨーロッパにとって、イスラムの高度な神学・諸学に翻弄された屈辱の時代だった。この屈辱を踏まえて、十二世紀の大翻訳運動が起こった。トマス・アクイナス、ロジャー・ベーコンらが世界というもののあり方、その存在の原因を、社会の存亡をかけて捉えようとし、その運動がアリストテレス哲学を取り込んだ精密な論理学に実を結んだ。
 この精密な論理学はやがて、「宇宙のすべてのヒエラルヒー」を支配するのは、必ずしも神を必要としない 「アリストテレスの第一原因」 すなわち 「力」であるという概念を生み出した。この 「力」 を数学によらない思弁論理で根拠づけたことが、以後全世界を制覇する科学技術がヨーロッパにのみ出現した理由である。
 「プラトンアリストテレスが当時重視されていなかった」のではない。戦争ばかりしていた当時のヨーロッパの王たちが、イスラムという洗練された大文化を知らない夜郎自大の田舎者であったに過ぎない。