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養老孟司 『超バカの壁』(新潮新書)

 ●自分探しの結果、「天職」が見つからなくなった
 自分固有の魂があって、身体はその魂に「場所」を提供しているだけだというのは西洋的な考え方です。日本の哲学者の書いた本には、調べた限りでは見当たりません。
 「自分に合った仕事」を、目にクマを作って、あるいはコンビニでバイトしながらのんびりと、探している人は、どこかで西洋近代哲学的な「私」の概念を取り入れているのでしょう。しかし日本の世間自体はそれとは別の成り立ちをしているから困ったことが起きます。
 日本人が「私」という言葉を「自己」という意味にしたのは明治以降です。それまで「私」はあくまで自分の「家(いえ)」のことであり、「公」(=社会)の反対側にあるものでした。「私」とは「個人」を指すものではありませんでした。
 それが明治以降、「家」のことである「私」が「個人」の意味も持つようになり、西洋のプライバシー(私事)とインディビジュアル(個人)というまったく別の言葉が、日本語では「私」という同じ言葉で表されるようになったのです。
 それで混乱が生じてしまった。日本ではまず世間、社会にいろいろな仕事があって、そこに自分というインディビジュアルを嵌めこんでいくというのが一般的だったものが、まず「私」というよく分からないものが確立されているとして、それにぴったりの仕事を世間、社会から調達しようとするから、自分の天職が永遠に見つからなくなってしまいました。

 ●外国での戦争と血税
 少し昔、湾岸戦争のとき日本は金だけ払って世界に笑われた、 そういう論調が新聞にありました。いまの集団的自衛権についての安倍首相の憲法解釈変更の意欲には、はっきりとその世論の記憶があります。
 湾岸戦争のとき日本が払った金は莫大です。もちろん国民の血税です。日本は血を流していないという人は、この「血税」の意味をわかっていません。
 税金はガンで死にそうな人でも、収入さえあればとられています。だから血税というのです。そこからあれだけの金を出して、それでいて「血を流していない」と言うのは、あまりに単純な論法ではないでしょうか。
 イラクに関しては、戦後の東京だって廃墟から復活したのだから、彼らもその真似をすればいいじゃないかと思います。イラクが本当に貧乏かと言えばそんなことはありません。石油が出るのですから。隣のサウジアラビアがあれだけ金持ちなのだから、貧しいのはお前らの問題だろうとどうして言えないのでしょう。

 ●システムとカオス理論
 金融経済学でも、一か月先の天気予報でも、テレビの暴力番組の青少年への影響でも、夫婦の行動心理でも、社会のちょっとややこしい現象は、「因果関係」というものをほとんど証明できない「複雑系」です。カオス理論はこの「よくわからない」ものを扱おうとする考え方です。
 お天気を例にとってみます。研究が進んだおかげげでさまざまなことを説明することができます。だから予測もできます。
 予測の物理式には定数が入っています。ごく簡単に言えば、たとえば、明日の天気=(今日の気温×A)+(今日の気圧×B)+(今日の風の強さ×C)というような式です。もちろん実際にはもっと複雑な式です。このときのA、B、Cが定数です。
そんな風に今日のデータと定数を入力すれば明日の天気が予測できる。天気といっても物理現象の一種ですから、理論上はこういう方程式がつくれます。困ったことになるのはここからです。
 例えば今日の気圧が1038ヘクトパスカルだとします。しかしより細かくデータをとると、ちょうど1038ヘクトパスカルではなくて、1038.125と小数点以下の数字までわかります。困ったことというのは、この小数点以下のデータを(本物の複雑な)方程式に入れるか入れないかで、結論が変わってしまうことがあるのです。それも、天気でいえば晴れと嵐ほどに、結論がまるで変わってくる。
 おまけに、気圧のわずかな小数点以下の数値というのは、測る場所によっても変わってしまう。結局、現実には完璧に正確なデータというのはないので、どこかで斬り捨てざるを得ません。実際の世界と、頭の中の理論の関係の象徴がここに表れていると言えるでしょう。
 天気予報でさえこうです。金融経済学でも、テレビの暴力番組の青少年への影響でも、夫婦の行動心理でも、そして地下深くの地震予測においておや・・・・・。
 世間の人も、NHKのニュース番組でも、科学的な結論というのは一義的に定まっていて、正しい答えがあるとどこかで信じている。それはすでに時代遅れだよということを、カオス理論は言っているわけです。