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ジュリアン・グラック  『シルトの岸辺』(岩波文庫)2/2

 本国オルセンナの元老院が砦を守る主人公に命令書を送ってくるページがある。旧日本軍や自衛隊の命令書もかくのごときものであ(った)ろうと思わせて笑わせてくれる。
 「貴官が独断で行った砦の防衛機能回復工事については、本国政庁としてはかかる措置について事前に請訓がなかったことは遺憾であるが、貴官の判断が結果的に時宜を得たものであったことを認めるにやぶさかではない。しかし本国政庁としてはその措置に関する通報が貴官からではなく、間接的なものであったことを意外とする。ただし貴官が、短慮によって事後にこの工事を撤回すれば、それは戦局上一層重大なる結果を招くであろう。本国政庁はこの決定が正当なる安全保障上の配慮から急遽下されたものであろうこと、並びにそれが最終的には諸般の要請にかなうものであることを認めつつ、砦の防衛機能回復というかくも影響甚大なる、国事全般に関連しかねない決定を下すにあたっては、今後は及ぶ限り速やかに申告なかるべからざることを望む。」

 ・・・・・・本国司令部の幕僚が実戦経験のまるでない将軍の酔言をのんきに書き写している間に、現実の国境線では、旧ローマ帝国辺境の地で頻発したような、遊牧民の混乱が始まっていた。
 それは公海上の哨戒線の見張り合いという悠長なものではなかった。敵正規軍が哨戒線を遠く迂回してシルトの砦近くに上陸し、こちらの遊牧民を混乱させ、家畜を奪い、乗り換え用の馬を挑発しているということだった。本格的な砂漠の戦いの予兆だった。300年間のオルセンナの惰眠がようやく破られようとし、砦に緊張が走るところで小説は終わる。

 『シルトの岸辺』は、本文に何度も出てくるように、わたしたちのわけのわからない「宿命」を主題にしたものである。しかしそれはカフカのように、読者を、自分たちが作った官僚主義の鉄の罠の中に引きずり込んで怒り狂わせるような「不条理」を描いているということではない。そういう意味では、カフカも、サルトルとは全く違う文体ではあるが、言葉の「意味伝達性」をわかりやすく用いて不条理の輪郭を明確に描いていた。
 グラックは 「私はいろいろなものが何かほかのもののほうを向いているのが好きなのです。パースペクティブの線がそこに向かって集まる消失点というものが非常に好きなのです」 と、自作について謎のようなことを語っているそうだ。天上からの視点というものをグラックはよほど嫌っていたのだろう。反時代の人ではなく超時代の人なのだろうと思う。 下級兵士の移動手段としてガソリンエンジンの車が出てくるから第二次大戦前後の時代を書いていると思われるが、独特のゴシック調の文体は近代初期の小説かとさえ思わせるほどである。
 この作品は1951年のゴンクール賞に選ばれたが、グラックは受賞を拒否して大きな話題になったという。かなり売れたのはこの受賞拒否事件があったからだと皮肉な評者は言う。たしかに翻訳の文章はみごとだし、頭が痛くなる読者の読む気力を最後まで持続させてはくれるが、版に版を重ねるというような作品ではない。