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養老孟司 『講演集 手入れという思想』(新潮文庫)2/3

 脳の男女差
 p93−5
 右脳は絵画脳、音楽脳で左脳は言葉の脳であるとよく言われます。絵画脳とは、主として空間認知をあつかう脳ということです。空間認知というのは、われわれがものがどこにあるか、物と物の位置関係がどうなっているかを把握することで、ふつうは右脳の働きです。
 
 空間認知の能力には、男性と女性とで差があることが昔からわかっています。どういうことかというと、右に描いた二つの絵画(目)と音楽(耳)という楕円の交わり方が、男よりも女のほうが閉じています。つまり女性のほうが二つの楕円の重なり(図の斜線部分)が広いので、言葉の領域が大きいのです。極端な場合、左右の脳を言葉に使っている女性もあります。
 これも昔から知られていることですが、左右の脳を連絡している繊維――脳梁と呼ばれる繊維ですが――、これは女性のほうが大きいということがわかっています。つまり右と左のつながりがよろしい。男の場合、右と左がどちらかといえば別々に働いています。ですから女性の場合、言葉は得意ですが、空間の把握能力が悪い、苦手なんです。くるまの車庫入れや縦列駐車では、この空間の把握能力が端的に試されますが、ほんと、見ていて気の毒になる女性のかたがたくさんいらっしゃいます。

利己的な遺伝子」というのは説明上の便宜的な言い方に過ぎない
 p258−9
 講演会聴衆からの質問  私は8年前に不妊治療で子供に恵まれました。ところが、よく考えてみると、これはドーキンス博士が言う「遺伝子の利己的なわざ」なのではないかと妙なことを考えることがあるのです・・・・。
 養老  リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は大変にポピュラーになっていますが、あれは単に「説明の仕方」だと私は思っています。世界をわかりやすく理解しようと思うとき、何通りもの言い方がありましよね。たとえば人間を説明するとき、人間というのは必ず自分の利益や快楽を優先するものだとか。いくら苦労しているように見えても、そこには結局あとでもっと大きな楽をしようという意図が働いているだとか・・・・・、いくらでも「世界の説明の仕方」はあるものです。
 ドーキンスの言った利己的遺伝子というのは、ご存じかもしれませんが自然選択説の一部をなすものです。自然選択説もある意味で世界を説明する仕方の一つであって、自然に限らずどういうことについてもその仕方で説明ができます。というのは自然選択説というのは、選択された後に生き残った私たちが世界を説明しているのですから、典型的な結果論なんですね。カメがこれからどうなる、チンパンジーがどうなる、ヒトがどう変わっていくということについては、自然選択説は何も語りません。
 さきほどあなたは「利己的な遺伝子のわざ」なのではないかとおっしゃいましたけれども、それはあなたがドーキンスの説明上の便法を丸呑みしてしまったからです。あたかも遺伝子に意図があるかのように説明しますと、説明される側が人間を理解したように思いやすいからそういう説明をしたのですが、ドーキンス自身は遺伝子が操作しているとは全く言っていません。
 ドーキンスはとても立派な学者ですから、そんなキワモノ的な説を述べたのではありません。ただ結果論的に見ると、いわば遺伝子が操作しているように見える。その説明が人間にはいちばん受け入れられやすいという、そういうややこしいことになっているだけなのです。多くの人やメディアが誤解したのも、そういう意味では無理がなかったのかもしれません。