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内田 樹 『昭和のエートス』(文春文庫)2/2

 なぜ私たちは労働するのか
 p131
 新卒で入った会社を三年で辞め、「やりがい」を求めて、離職転職を繰り返す若者たちは、「クリエイティブ」で「自己決定・自己責任」の原則が貫徹していている会社、個人的努力の成果を誰ともシェアせず独占できる仕事、に就こうとする。だが、そういうことは軽々に口にしない方がいいと思う。
 「クリエイティブ」であるためには人に抜きん出た個性が必要である。軽々しく口にする人々は、「みんなと同じような理由で、みんなと同じような仕方」で「集団的労働を忌避する」ことが理屈として矛盾そのものであることにさえ気が付いていない。そのうえ、「自己決定・自己責任」の原則から利益を得られるのは「強者」に限られているが、そのような「強者」のほとんどはメンバーズオンリーの利益配分集団にすでに所属してしまっている。

 日本属国論
 p214-5
 日本という国名は誰でも知っているように「日の本」、すなわち「昇る朝日の下にある地」を意味する。英語でもLand of Rising Sun と呼ぶが、地図を見るまでもなく、日本列島に昇る太陽を「朝日」として認識できるのは、日本より西の地方に住む人だけである。「日本」というのは「大陸からみて東方」を意味する国名なのである。
 もしアメリカが「カナダの南」国、とか、「メキシコの北」国、とか自称したら、私たちはその主体性のなさを笑うだろう。けれども私たちは、自国がそれとおなじ名乗りかたをしていることに気がついていない。このことに自覚的であった幕末の国粋主義者佐藤忠満は、「日本」という国名は国辱的呼称であるから、これを棄てるべしと主張した。今日の愛国者たちも、その主張を一貫させようと望むなら、佐藤に倣って「日本」という国号の廃止と、その国号を図像化した「日の丸」の廃止を政治綱領の第一に掲げるべきであろう。

 「フランスの倫理」を支えたカミュ
 p287
 1942年の段階で、対ナチレジスタンスに参加していたのは、全フランスでわずか2000人にすぎなかった。それが数十万人に膨れ上がったのは、ノルマンディー上陸作戦の成功後、「勝ち馬に乗ろう」とした人々がいたからである。カミュはその最初期の、レジスタンスが孤立して危険きわまりなかった時期からの寡黙な闘士の一人だった。
 解放のときが来て、この青年が地下出版の『コンバ』を通じて、占領下フランスの知的・倫理的高みを支え続けた伝説的なレジスタンス闘士と同一人物であることが知られて、『シーシュポスの神話』を若書きであると笑っていた人々は、あおざめて口をつぐまざるをえなかった。フランスの倫理的な体面を保ったという点で、カミュ以上の貢献を果たした哲学者を同時代に探すことはほとんど不可能である。
 サルトルは、占領下のパリでいっしょに飲み歩いていたダンスのうまいハンサムな青年作家が地下活動の英雄であることを、パリ解放のときまで知らなかった。