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中沢新一 『レヴィ=ストロース・野生の思考』(NHK100分de名著)

 「NHK100分de名著」とは、「世界の名著を読もう」的な教養番組のための薄い教科書シリーズ。地デジ2チャンネルで放送されているらしい。そのうちの一冊である中沢新一氏のこの本をたまたま本屋で見つけ、パラパラめくっていたら、あの難しいレヴィ=ストロースの『野生の思考』が寝ながらでも分かるようにレクチャーされていた。

 p16-7

 構造主義の最初の着想

 人間の思考は自然が作り上げたものです。宇宙の全体運動の中から地球が生まれ、地球に生命が誕生し、生命の中から脳細胞がつくられ、そこに精神が出現するようになります。精神というモノが自然から生まれたからには、精神の秩序は、そこから自分が生まれた自然界の秩序と連続性を持っているのではないか。
 しかしそこには両者をへだてている非連続性があることも事実です。この連続性と非連続性を同時にとらえることができないだろうか――。それが最初の構造主義の着想でした。自然界の中から生み出された生命の延長上に生まれる「人間の精神」の構造。この精神の構造と自然界の構造を、一つの全体としてとらえることで、精神の秘密にせまろうという思想です。

p47-8

 ありあわせの野生知財をブリコラージュ(つぎはぎ)してヒトは前に進む

 6~7万年前の後期旧石器時代に人類の脳構造に飛躍的進化が起き、クロマニヨン人などのホモ・サピエンスが、脳構造が変わらなかった「旧人」を駆逐しました。それ以来人間の脳の構造は変化していません。6~7万年前の後期旧石器時代が呪術を行っていたのとまったく同じ脳が、いま量子論や宇宙物理を思考しています。新石器革命を通じて、旧石器的知識の組織化が行われ、それ以降、現在まで文化は大きく変化しました。
 それでもそこで活動する知性は6~7万年前の知性と同じものであり、呪術を行っていた人類と科学を行っている人類は、同じ心の構造を持っています。その「同じ心の構造」を例示するものの一つに「ブリコラージュ」があります。ブリコラージュとは「日曜大工」とでも訳せばいい言葉で、<ひとはある新規なものを突然作ることはできない。誰でも身の回りにある材料を再利用し、それらを組み合わせながら自分のイメージに近いものに仕上げていく>という意味です。
 あのニュートンにしても『プリンキピア』を書き上げた後の興味の対象は錬金術占星術にありました。古代エジプトの時代から少しずつ工夫され改良されてきた(現代から見れば幼稚そのものに見える)知的財産身をさまざまにブリコラージュして、(現代科学が迷信の代表として激しく糾弾する)星占いと錬金術に没頭し、新しい宇宙像をつくろうとしていたのです。

 p6・79-81

 レヴィ=ストロースの『野生の思考』が戦いを挑んだのは、19世紀のヨーロッパで確立され、その後人類全体に、とくに政治家、経済人のほとんどすべてに大きな影響力をふるってきた「歴史」と「進歩」の思想です。
 「歴史」と「進歩」の思考方法は、現在でも変わらずに大きな影響力を持ち続けています。右の人々も左の人々も、根底では同じ「歴史」と「進歩」の思考によって動かされています。この点では右も左も同じなのですが、彼らはこのことに気づいていません。今の「進歩」を500年続ければどこに行きつくのかに気づこうとはしません。
 私たちはいま、コンピュータを身近にもつようになりましたが、人類の思考は6~7万年前の突然の進化によって、最初から完成されていました。人類が人類となったそのときにつくられた脳の構造を、私たち現代人もいまだに使って思考しているのです。コンピュータはそういう人類によってつくられたものですから、コンピュータという思考機械も基本設計は、<身の回りにある材料を再利用し、それらを組み合わせながら自分のイメージに近いものを仕上げていく>あの「ブリコラージュ」という「野生の思考」を行う脳と少しも変わりません。なぜなら、地球上に発生した生命の中に知性が生まれ、それはついには人類の知性にまで発達しましたが、その進化の過程はすべて地球の内部で起こったもので、外から何かがやってきたおかげではないからです。生命は自分の手持ちの材料とプログラムだけを用いて、それらの組み合わせを新しく作りかえることだけによってしか、進化をなしとげることはできません。
 そういう意味で、「歴史」とか「進歩」とかは、神経線維の情報処理によって出力されたただの前のめりの「観念」であり、コンピュータという「野生の思考」を行う機械が画面上に映し出した「文字」にすぎません。「歴史」とか「進歩」とかは、生命として体内から発する材料でもなければ、体内から発するプログラムでもありません。