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バートランド・ラッセル 『西洋哲学史 3 哲学上の自由主義』(みすず書房)

 イギリスが「名誉革命」をなしとげた1688年前後の政治思想状況を簡潔にまとめた一章。贅言を用いない文章の内側に、超一級の頭脳に恵まれたバートランド・ラッセル卿らしい皮肉とユーモアが隠されている。

 p593-6

 17世紀に発達したロマン主義の精神運動は、ルソーとともに始まり、その個人主義は知的な領域から情熱の領域にまで拡大され、ロマン主義個人主義の無政府的諸様相があらわになっていった。そしてロマン主義は国民思想としては当然ながら国粋原理の称揚につながり、政治的な力を獲得していった。・・・この運動の中には発達期の産業主義に対する嫌悪があり、産業主義の残酷さに対する反発があった。さらに、取り残された人々の中世に対するノスタルジアもあって、近代世界に対する憎悪の裏返しとして中世は理想化されていた。行き過ぎたロマン主義個人主義や近過去へのノスタルジアが国粋原理の称揚に容易に結びつくことは、歴史学上の「定理」みたいなもので、地理的・時代的制約はほとんど問う必要がない。
 ・・・この思想運動がひとつの国内で成功すると、それは不可避的に英雄による独裁政治をもたらすものである。そしてその英雄が圧制を確立してしまうと、彼は自分が、それによってのし上がったところの自己主張的な倫理を、他人には認めなくなる。つまり個人が過酷に抑圧される独裁国家というものが誕生する。
 この過程をイギリスにおいて実現したのが清教徒革命後に独裁権を握ったクロムウェルだった。清教徒の反乱は必然的にイングランド各地の人民蜂起につながり、国は内乱状態になった。そのなかで、国王と議会から護民長官に任命されたクロムウェルは議会少数派の「独立会議派」を率いて地位を確立していった。
 当初、数こそ少数派だったが、民衆の中には近代世界に対する憎悪と中世に対するノスタルジアがあり、たくみに民衆の情熱に訴えれば彼らの「新模範軍隊」の志気が圧倒的高まることは潜在的独裁者クロムウェルにとって自明のことだった。彼が民衆の「新模範軍隊」をもって議会を制圧したとき、ロンドンでは恐怖のあまり「犬一匹さえ吠えなかった」といわれている。

・・・1688年の名誉革命が近づく頃、国力強大なフランスでは、ルイ14世が新教と旧教の同権を認めたナントの勅令を撤回して新教徒を弾圧した。その影響でイングランドでは、プロテスタントルイ14世に従順なジェイムズ国王の退位を要求するようになっていた。しかし同時にほとんどすべての人々が、数十年前の内乱とクロムウェル独裁の時代への復帰を避ける決意を固めていた。すなわち政治的ロマン主義をはじめいかなる理論も、その論理的帰結までおし進めることをやめ、妥協と穏健な態度を愛することを、クロムウェル独裁の時代の苛烈さから肝に命じて学んでいたのである。このような(我慢強さと優柔不断が相半ばするともいえる)イングランド人の性向は、現代にいたるまで彼らを支配している。
 名誉革命においては、一発の砲火もなくジェイムズ国王を去らせることに成功し、ジェイムズの娘婿である新しい国王をオランダから迎えることができた。新国王は母国オランダの顕著な通商・神学上の英知をたずさえてやってきた。その結果、イングランド銀行が創設され、国債は確実な投資に回されるようになり、君主の移り気によって簡単に支払いを拒否されることはなくなった。
 それ以後、カトリック信者と非国教派とはさまざまな点で資格を認められないことも続いたが、国家からの迫害には終止符が打たれた。イングランド外交政策は確固たる反フランスとなり、その政策はナポレオンを敗退させるまで続いた。