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ミシェル・ウェルベック 『地図と領土』(ちくま文庫)

 ちまちました日本の作家には書けない、神を相手にしたことのある民族の子孫にしか書けない大傑作。
 地図とは世界を今あるように作った「第一原因」の意図のままにあるところのものだが、領土とは、その「地図=無機質」世界を、意識によって分節・説明することで人間的な「自然=有機質」世界に作り直すことができる・・・・・そういうことをこのタイトルは指しているだろう。
 ウェルベックを有名にした1998年発表の『素粒子』は、西欧白人社会の人口減少とその先の滅亡を先触れした文明論小説であり、ゴンクール賞受賞をめぐって一般紙まで大騒ぎする問題作だった。これに対し2010年発表の本作『地図と領土』は基本的には芸術論小説である。作者ウェルベック自身が実名で頻繁に作品中に登場するという変わった書き方がされているが、話の運び方や作中人物の扱い方にスキャンダラスなところはひとつもない。

 主人公ジェドがおもに写真と絵画の造形芸術で、世界の写し取りとそこにうごめく人間群の美醜のクローズアップを行うのに対し、登場する作者ウェルベックはジェドの個展のカタログに長文のオマージュを寄せて、ジェド作品に理論的基礎付けを与える。小説家・詩人であるウェルベックは世界――神のものである地図と人間のものである領土を、テクニカルには造形芸術でも説明可能だと語っているようにも見える。
 もちろんシニカルな『素粒子』の作者は、説明可能な世界のロマンティシズムを大真面目に歌っているわけではない。第3部になってウェルベックを悲劇が襲い、主人公ジェドに緩慢な老いが訪れる。フランスの新しい世代が先行するどの世代よりも保守的になり、金や既存の社会的ヒエラルヒーを敬うようになったことを悟るとき、二人の諦念はかぎりなく深い。
 登場人物としてのウェルベックは、ジェドの個展に寄せた長文のオマージュの中で、ジェドの大作絵画の一つである『ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズ情報科学の将来を語り合う――パロアルトでの対話』を解説しながら、二人の天才情報技術者の人間性を解剖して見せる。
 p199-203
 画家ジェドは政治意識の強いアーティストであるが、この作品における彼の眼差しは民俗学者の視線である。籐椅子に身体を静めたビル・ゲイツは、両腕を大きく開いて相手に微笑みかけている。チノパンにカーキ色の半そでシャツ、裸足にサンダルという格好である。それはもはや、マイクロソフト社が世界制覇を確かなものとし、彼自身、ブルネイの首長を抜いて世界長者番付第一位になったころのビル・ゲイツではない。そしてまた、スリランカの孤児院を訪問したり、西アフリカでの天然痘流行の再燃に対し、国際世論の注意を喚起したりする、苦悩に満ちた表情で社会問題を憂う人でもない。その中間の時期、マイクロソフト社の会長の地位を明け渡して明らかに幸福そうな様子のビル・ゲイツであり、<オタク>としての過去の名残りは瞳がやけに拡大されて見える金属フレームのメガネにのみ認められる。
 その正面にいるスティーブ・ジョブズは、会談の場がカリフォルニア・パロアルトにある彼の自邸なのにもかかわらず、逆説的にも、峻厳さの化身にして、伝統的にプロテスタント的資本主義と結びつけられている<憂慮>の化身でもあるかのように見える。なにか厄介な考え事のヒントを探るように右手であごをつかんだ様子や、ビルに注ぐいかにも不安げな眼差しにはカリフォルニア的なところは皆無である。
 自伝『ビル・ゲイツ未来を語る』のなかで、ビル・ゲイツはときおりシニカルきわまりないと思えるよう側面を見せている―――とりわけ、もっとも革新的な製品を送り出すことは、企業にとって必ずしも得にならないと率直に述べているくだりにおいて。名前こそ挙げていないものの、それがアップル社を指すことは明白だった。
 だがこの一見シニカルに見える態度は、ゲイツの深い真実を示すものではない。真実はむしろ、彼が資本主義に対する、そして神秘的な「見えない手」に対する信仰を明確に述べている、ほとんど感動的な一節に表れている。市場にとっての善は世の中にとっての善と一致するのだというゆるぎない確信をゲイツは持っている。そのときビル・ゲイツは、その深い真実において、信念の人として立ち現われるのであり、真摯な資本主義者のその信念、その無邪気さこそ、画家ジェド・マルタンが瞳がやけに拡大されて見える金属フレームのメガネのなかに表現し得たものだった。『情報科学の将来を語り合う――パロアルトでの対話』とはあまりにつつましい副題である。ジェドはむしろ『資本主義の簡潔な歴史』としてもよかっただろう。