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★プルースト 『失われた時を求めて 8 ソドムとゴモラ Ⅰ』(岩波文庫)8/13

 長大な『失われた時を求めて』の半分をようやく越えた。読むのはたいへんだが、トルストイ戦争と平和』と違って読者に対する説教臭さがみじんもないのがありがたい。

 『ソドムとゴモラ』はその名の通りソドム(男性同性愛)とゴモラ(女性同性愛)が中心テーマ。前巻までに登場した人物たちの何分の一かがこの「病」にかかっていることが暴露される。この巻では大貴族ゲルマント公爵の弟を中心にしてソドムが描かれ、後半部になって全編の語り手である「私」がかつて激しい思いを寄せたアルベルチーヌがゴモラなのではということが暗示されてくる。この話は続く第9巻でも展開されるらしい。

 『失われた時を求めて』においてプルーストは全14巻のすべてのエピソードを知り尽くしている「神のごとき視点」を持っていない。自身も同性愛者だったプルーストは、「私」をとおして同性愛者たちにたいして道徳的批判もしないし、もちろん称賛もしない。同性愛者であることはその人の価値にいかなる影響も与えない。その人の価値とは、その人が自分と社会を観察するどのような鏡をいくつ持っているか、その鏡はどれほど精巧なものか、などによってしか測れないからである。大貴族ゲルマント公爵の弟の尊大さと無教養と反ユダヤ主義は、同性愛であろうがなかろうがいささかも変わりないだろうし、同性愛が20年後のヨーロッパでどのようになっていくかには、彼は牛が羊に興味がないのと同じくらい無関心だったろう。

 翻訳者・吉川一義教授によれば、プルーストホモセクシュアルだったのみならずとてもスノッブな社交人で、おまけにユダヤ人である。ホモ・ユダヤスノッブというのは、プルーストを揶揄する人が今もしばしば使う三点セットであるらしい。

 当時1900年頃、フランスでは有名なドレフュス事件もあって反ユダヤの風が吹き荒れていた。ちょうど第一次世界大戦の15年前、成功した産業ブルジョワジーが社会を握りはじめ、ナポレオン以前からの世襲貴族社交界は没落の予兆におびえていた。文名高きプルーストがそうした没落寸前の社交界にどっぷりつかったスノッブであり、しかもホモセクシュアルユダヤ人であったならば、彼の筆致がしねくねとどこまでも曲がり続ける寄生植物のようになるのは当然だろう。なにせシュテファン・ツヴァイク言うところのヨーロッパの『昨日の世界』というのは、反ドレフュス、反ユダヤの大立者である超名門貴族のゲルマント公爵さえもが、温泉保養地で三人のイタリア貴婦人にあっさりと丸め込まれ、熱心なドレフュス支持派となってご帰還あそばすような状態だったのだから。

 そしてそのゲルマント公爵という男は従兄の危篤を無視して仮装舞踏会に出かけるという、政治漫画の主人公になれるような利己主義者である。この大物独善男がイタリアの温泉地で、当時のフランス最大の政治問題だったドレフュス事件に対して自分の意見をコロッと180度転換してしまうシーンはなかなか面白い。いかにもいまから100年前の小説的、「失われた時を求めて」的な楽しさという意味で。

 P313

 歴史の重要な時期にはきまってあらわれる現象がゲルマント公爵についてもあらわれた。ゲルマント氏は仮装舞踏会から帰ったところだったが、あすはどうしても従兄の正式の喪に服さなければならないと考え、予定した温泉療法を少し遅らせることにした。それから三週間後、その温泉療法から戻ってきたとき、公爵の友人たちは驚きのあまり声も出なかった。

 それまで公爵はドレフュス事件に無関心で、ついで熱心な反ドレフュス派になったひとである。その公爵が言ったのだ。「そりゃ審理はやり直しで、あれは無罪放免になる。何もしていない人間を有罪にするわけにはいかんからね。証拠文書を偽造した軍部などはフランス人を戦争で屠殺しようとしているのだ!おかしな時代になったものだ!」

 じつは三週間の間に公爵は温泉療法の地で、三人の魅力的な夫人(さるイタリア人の大公妃とその義理の姉妹)と知り合ったのである。その三人が読んでいる本や芝居について洩らす二言三言を聞いただけで、ただちに公爵は、これは知性をそなえた婦人である、とうてい太刀打ちできぬと悟った。

 公爵は三人の貴婦人にブリッジに誘われ有頂天になったのだが、そのブリッジの席でつい反ドレフュス派の情熱に駆られて「さて例のドレフュスの再審は、とんと聞かなくなりましたね」と言ってしまった。それに対して大公妃は「今ほど再審が間近になったことはありませんよ、何もしなかった人を流刑地ににとどめておくわけにはいきませんからね」と答えたのである。公爵は「え?え?」と口ごもるほかはなかった。

 公爵と三人の魅力的な夫人はその後も数日間温泉療法地でいっしょに時間を過ごした。そのあいだに三人の魅力的な夫人は公爵の持ち出すドレフュス派不利の「証拠」を次々と笑いとばし、じつに巧みな論法を駆使して、それは何の価値もない滑稽千万な説だと苦もなく証明して見せた。かくして公爵は、熱烈なドレフュス支持派となってパリにもどってきたのである。

★プルースト 『失われた時を求めて 7 ゲルマントのほうⅢ』(岩波文庫)7/13

 この第7巻は、主人公「私」をめぐる人間関係が前の第6巻とはかなり変わってしまったところから始まる。「私」をあれほどかわいがってくれた祖母が亡くなって数か月がたっており、「私」は祖母を思い出して気がふさぐこともほとんどなくなっている。第1・第2巻ではパリ社交界の花形スターだったスワンは、高級娼婦オデットとの結婚がたたって上流クラブからはじき出されようとしている。

 第4巻『花咲く乙女たちのかげに』で「私」があれほど恋い焦がれたアルベルチーヌは、いまや特別の存在ではなくなっている。第4巻で描かれたアルベルチーヌは、「私には上機嫌と不機嫌がほんの数秒ごとに入れ替わるように思え」る気まぐれな女神のような存在だったが、今のアルベルチーヌはそうではない。「私」とアルベルチーヌはこの巻でいとも簡単に寝てしまう。

 そうなったのは、4巻から7巻までの失われた時の間に、「ある女性を愛しているとき、われわれは相手に自分の心の状態を投影しているだけである」(第4巻p415)という経験を、「私」が自分の中に刻み付けたからだ。恋は相手が引き起こすのではないというプルーストの持論は、この巻でも繰り返されている。

 p74

 恋というものがいとも恐ろしいペテンであるゆえんは、われわれを外界の女性とではなく、まずはこちらの脳裏に棲まう人形とたわむれさせる点にある。その人形こそわれわれがつねに自由にでき、わがものにできる唯一の存在である。想像力とほぼ同様の完全に恣意的な想い出が作り上げた唯一の存在が現実の女性と違うのは、むかし私とアルベルチーヌが恋をした(と思っていた)バルベックに地が現実のバルベックと異なるのに等しい。そんな人為的につくられた女性に、われわれは現実の女性を無理やり少しずつ似せようとして苦しむはめになる。

 第7巻は本文で550ページほどもあるが、その4分の3がパリ左岸の高級邸宅地「フォーブール・サン=ジェルマンでも最高のサロン」であるゲルマント公爵夫妻邸の晩餐会描写に宛てられている。翻訳者吉川一義教授によれば、プルースト解説書などでは、この晩餐会の描写はひときわバルザック風の「人間喜劇」的な箇所とされているらしい。しかし次から次と供される豪華な料理の描写、それを平らげてはげっぷを出す男どもの下卑た冗談、美男の若い伯爵に秋波をおくる年増の男爵夫人、それに眉をひそめる老侯爵夫人、美男の若い伯爵が金に困っていることを年増の男爵夫人に教える銀行家、その銀行の抵当に入っているルイ11世風の長椅子やルイ14世風の肘掛椅子をたたえる似非歴史学者・・・・・・、こういった「いかにも」の上流貴族晩餐会の悲喜劇を詳しく書くことにプルーストの目的があるのではなかった。

 階層が上昇するほどスノビズムに敏感である

 400ページ以上にもわたる晩餐会描写の中でプルーストが書いたのは、彼ら上流貴族は、自分たちのスノビズムをどうとらえているかということである。延々と喋りまくる女主人ゲルマント公爵夫人は、「聡明」、「才知」、「知性」の人である自分をもちろん疑わない。そんな自分は、夫ゲルマント公爵とともに、古フランス発祥の地であるイル・ド・フランスに関わる家柄であり、フランスの上流貴族は十数代さかのぼればすべて姻戚関係にあると言えるほどである。全フランスの貴族と姻戚にあるならば、フランスのすべての農民や下層階級や下層貴族は私たちの支配下にあって当然であり、いまのさばりつつあるブルジョアどもはただの成り上がり者ではないか・・・・・・・。

 しかし・・・・、そのむかし、イル・ド・フランス地方でいにしえのフランスが起こりつつあったころ、私たちの先祖はどうだったろうか。今のブルジョアどもが私たちにおべっかと巨額のリベートを使ってのしあがり、一歩ずつ社会の階段を上りつつあるように、私たちの先祖は当時衰えつつあった古代貴族たちに、阿諛追従をつくして地位をあげていったのではなかろうか。最終目標である王位には、ルイやらナポレオンやらが現われたせいでまったくたどり着けなかったけれど。つまり私たち上流貴族は、もとを正せばあのいやらしいブルジョアども、キツネのような下級貴族どもと、どう違うのだろうか・・・・・。

 つねに「才気」あふれるジョークを連発し、「ロシア政府はトルストイを暗殺しようとしているんですってね」と爆弾発言したり、社交界の常識を無視して一切の宝石もつけず、周囲が厳格なもの思い込んでいるドレスコードには合わない服装であらわれたりするゲルマント公爵夫人の行動の裏には、国王の地位にはどうしてもたどり着けない最上流貴族の、薄暗い時代の記憶が奥深い身体感覚として残っていたのである。そのうえ現在は、工場経営者のブルジョアユダヤ人金融資本家といった次の時代をうかがう人種の圧力を本能的に感じてしまっている・・・・・。最上級貴族のいかにも暗い自己省察である。

 

 ゲルマント公爵夫人もたじろぐパルム大公妃の恐るべきスノビズム

 晩餐会の主賓はパルム大公妃。ゲルマント公爵夫人の警句に素直に感心するおめでたい貴婦人である。しかし、おめでたいにもかかわらず、出自が一ランクちがうことと、祖先の株式投資のおかげで大金持ちであることがゲルマント公爵夫人の嫉妬心をあおりたてる。夫人は大公妃の「愛想よく人情味にあふれ」たところをいつもバカにしているが、大公妃は現代でも「真心をもって慈善活動をする」欧米上層階級マインドの正真正銘の源流である。ゲルマント公爵家はその一支流にすぎないことを、夫人は身をもって知っている。

 p190-1

 大公妃の愛想のよさには、二つの要因があった。ひとつはこの君主の娘が受けた教育である。大資産家でありヨーロッパのあらゆる王家と姻戚関係にあった母親が、娘に幼少期から、福音書スノビズムともいうべき、高慢なまでに謙虚な教育を叩き込んだのである。そのせいで今では、大公妃は目鼻立ちの一つ一つまで母の教えを復唱しているように見えた。母はこう言っていたのであり、娘も子供たちに同じことを教えていた。

 「くれぐれも忘れないように。神のおぼしめしであなたが王位継承者として生まれ、なんとありがたいことでしょう、神の摂理によってあなたが出自と財産で優位に立つからといって、そうでない人を図に乗って軽蔑してはなりません。それどころか、恵まれない人たちには親切にしておやりなさい。あなたの祖先はキリスト教紀元647年ごろからクレーヴェとユーリッヒの大公でした。神のありがたい御心により、あなたはスエズ運河会社のほとんどすべての株と、ロスチャイルドの三倍ものロイヤル・ダッチの株を持たせていただいています。

 「あなたの直系の血統は、系譜学者たちの手で、キリスト教紀元63年までさかのぼることが確かめられています。いまも義理の姉妹に、皇后が二人おいでです。ですから人と話すときは、こんな特権が頭にあることをおくびにも出してはなりません。そんな特権がかりそめのものだからではなく、あなたが高貴な生まれで投資先も一級であることなど、教えるまでもなくみなが承知しているからです。由緒正しい血統は変えることのできるものではなく、石油は今後も必要とされるでしょう。

 「不幸な人たちに手を差し伸べなさい。神のみ心であなたの下におかれた人々に、あなたの地位を失うことなく、与えられるものを与えなさい。つまりお金の援助や、ときには看護の手を差し伸べるのです。しかし決してあなたの夜会にそうした人を招待してはなりません。そんな人たちには何の役にも立たないばかりか、あなたの威信を低下させ、慈善行為の効果も失せてしまいます。」

★プルースト 『失われた時を求めて 6 ゲルマントのほうⅡ』(岩波文庫)6/13

 この巻は全14巻の中で本文380ページほどと特別に「薄く」、外見だけはとっつきやすそうだ。だがそのうち前半の300ページほどは、わずか2、3時間のお茶会で繰り広げられる、「私」をふくめた上流貴族社会のばかばかしい戯画で塗りたくられている。訳者吉川教授の言うように、「100年も前のパリ社交界の虚妄などに興味がないひとは、自慢と当てこすりとほのめかしに満ち満ちた描写を退屈に感じる」に違いない。吉川教授の「あとがき」によれば、社交界がいまだに存在するフランスでも本巻はそう紹介されているらしい。

 だから「これから4年かけて、半年ごとに出る吉川=プルーストを全巻読みきるのだ!という気力がないと、この巻は少々くたびれるのではないか。少なくとも人気の高い巻ではないだろう。

 登場する上流貴族やその夫人たちが、羊の顔をしたお上品な口先で相手の本心を探り合うのは、1900年当時全フランス社会の意見を二分したユダヤ人将校ドレフュスの反逆罪事件とその裁判の行方である。裁判そのものは、反ユダヤ側将校と政治家の証拠捏造が立証されて、ドレフュスは無罪が確定するのだが、この巻の中では裁判は現在進行形であり、登場人物がドレフュス側と反ドレフュス側にわかれて虚虚実実の空虚な掛け合い漫才をする。

 このドレフュス事件が社交人士たちの長たらしい舌戦の背景になっているので、当時のユダヤ人をめぐるヨーロッパ社会の空気の闇を知らない人は、一部過激にユダヤ人を擁護する社交サロンでの会話の流がまるでわからないかもしれない。この、ユダヤ人問題をどの局面で捉え、どう自分の利益に結びつけるかで、同じひとりの人間でも態度をころころ変えるのだが、その「態度をころころ変える」のは、公爵もその夫人も、ブルジョア芸術家も、公爵家の門番も、給仕女も、そして「私」自身も同じである。社会階層を問わない、自己正当化の愚劣さをいやになるほど出るほど読者に見せつけることが、プルーストの目的なのだ。

                                                            

 p196-9 外交官と女は同じ戦略を使う

 戦略に長けた外交官たちの、ほとんど無意味な公式発言ごときに悦に入るこの社交人士たちは笑うべきものではある。だがいかなる外交官でも心得ているのは、ヨーロッパにせよ他の地域にせよ、人々が平和と呼んでいる均衡を保つための天秤の上では、ことを決する本物の重い分銅は、その場の会話とは別のところにあるのだという認識である。つまり、強力な相手との交渉の成否を決するのは、本物らしく見える空手形を自分が持っているかということなのだ。

 ごく簡単な話、男が女に金を渡そうとすると、女が「お金の話はやめましょう」と言う場合、その言葉は音楽でいう「全休止符」と考えるべきである。後になってその女が「あなたにはずいぶん苦しめられたわ、もう我慢の限界」などと言えば、それは「ほかのパトロンはもっと出してくれた」という意味であったと解釈しなければならない。男には薄っぺらい紙製の分銅しかなかったが、女は金満家という本物の分銅をいくつも持っていたのである。

 たったいまやりあった、国家を背負うフランスの外交官とドイツの大公はこのような粋筋の女と街のチンピラではないが、職業的習性の中ではチンピラと同じ次元で暮らすことに慣れている。国家なるものも、いかに偉大に見えようとも、これまた利己主義と策略のかたまりというべき存在で、それを手なずけるには力によるか、相手を青ざめさせる本物の重い分銅を探すしかないのである。

★マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントのほう Ⅰ』5/13

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 p187 夢と覚醒について

 プルースト(1871~1922年)はフロイトと同時代の人なのだが、フロイトの『夢判断』(1900年)は読んでいなかったらしく、眠りと覚醒を精神錯乱と復活ととらえていた。当時はそれがまだ一般的には「進んだ認識」だった。プルーストという、19世紀後半から20世紀前半に生きた知識人の中でも特別に繊細だった人に、眠りという生理現象がいかに謎であったか、そして私たちの生理学の理解がどれほど歴史的に最近のものなのか・・・・、次のパラグラフにそのことがよく現われている。

 深い眠りを「鉛のような眠り」と言いあらわすが、そんな熟睡から覚めてしばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまったような気がする。

 私はもはやだれでもないのだ。目覚めてしばらくはそんなありさまなのに、なくしたものを探すみたいに自分の思考や人格を探したとき、どうしてべつの自我ではなく、ほかでもない自分自身の自我を見つけ出すことができるのか? 目覚めてふたたび考え始めたとき、われわれの内部に体現されるのが、なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか? 何百万もの人間の誰にでもなりうるのに、いかなる選択の根拠があって、なにゆえ前日の人間を見つけ出せるのか不思議である。

 たしかに中断があったのに、なにがわれわれを導いているのか? 心臓の鼓動が止まっても、舌を規則的に引っ張られて息をふきかえすときのように、たしかに死があったにもかかわらず、だ。われわれが一度しか見たことのない部屋にもきっとさまざまな想い出を呼び覚ます力が備わり、その想い出にさらに古い想い出がつながっているか、あるいはわれわれの内部で想い出のいくつかが眠り込んでいて、目覚めたときにそれがふたたび意識されるのだろうか。

 目覚めるさいの――眠りというこの恵みぶかい精神錯乱発作のあとの――復活という現象は、つまるところ、人が忘れていた名前や詩句や反復句を思い出すときに生じることと似ているに違いない。そうだとすると死後の魂の復活も、ひとつの記憶現象としてなら理解できるかもしれない。

 ・・・フロイトの理論が現われたとき、その精神分析理論は、まだ当時のウィーンに色濃く残っていた錬金術の一種であるとみなされたというのも、上記の文章から十分納得がいく。「精神」も「人格」も「思考」も「錯乱」も、その定義はその文章を書く人に任されていた時代だった。

 翻訳者の吉川教授が「あとがき」で触れていることだが、プルーストと同年生まれのポール・ヴァレリーもまた夢に関する精密な考察をノート『カイエ』に書き綴っている。ヴァレリーの『テスト氏との一夜』の主人公「テスト」氏は「フランス語Tete(=おつむ・頭脳)の古語Teste」氏のことであり、一作全ページが「精密に考えるとはどういうことか」というややこしいことを主題にしたものである。 フロイトプルーストヴァレリーと、19世紀から20世紀の変わり目は、人間認識の中心対象が脳と心に大きく転換し始めた時代だった。

 ・・・それはともかく、この『ゲルマントのほう1』はこれまでの五巻の中で一番退屈な巻だった。しかもこの第5巻は「ゲルマントのほう」全体の三分の一の分量にすぎないらしい。第六巻では、本巻冒頭でゲルマント館の一角に引っ越してきた主人公の「私」が、ゲルマント公爵夫人への憧憬を次第に募らせ、スノッブな青年らしく大貴族のサロンに引き寄せられる過程が描かれるらしい。もちろん大貴族のサロンの実態を描くことにプルーストの狙いがあるわけではなく、吉川教授の言うように、そのときの「私」には「客観的」な理由があるように見えた自分の行動や認識に、いかに本人の独断的主観が関与しているかが明らかにされるのだろう。ただ、私はすらすら読み続けられるだろうかと、やや心配にはなる。

 ところで、今回の岩波文庫版『失われた時を求めて』はこれまで五巻が発行されたが、ときに、本作品の実際の記述と私が抱いてきた近代小説の文体イメージがあまりにも離れすぎていて、先に読み進めないこともあったがたびたびあった。『失われた時を求めて』ではストーリーはあってもなくてもどっちでもいいようなものと気づいて私はまごついてしまったわけだが、しかしそれは退屈することとはまた違っていた。『戦争と平和』のときは半分を過ぎると、あまりの説教臭さに、いつ放り出そうかと考えていたものだ。
 でも
率直に、『失われた時を求めて』は近代小説の中でどのカテゴリーに入るのだろうと思う。作者は自分の脳の中で繰り広げられる意識の流れを一つ一つとらえることで、何を読者に聞かせようとしているのだろう。その完璧な心理描写ゆえに、プルースト以後の小説家はストーリー展開の意外性に途を見出さざるを得なくなったというのはある意味で本当だろうが、自意識のあれこれを何百ページにもわたって記述されても、そこに読者は何の楽しみを見いだせるのかとも考えてしまう。この作品が古今の大名作かどうかはわからないが、マルセル・プルーストがかなり歪んだ考え方をするオタクだったことは確かだと思う。

★プルースト 「失われたときを求めて 4 第二篇花咲く乙女たちのかげにⅡ」(岩波文庫)4/13

 全14巻の4冊目!前途ははるかに遠い!訳者・吉川一義氏は刊行前の約束どおり、半年に一冊必ず出してくる。頭がたれる力業である。ノルマンディー海岸でのリゾート生活を描いたこの巻は本文だけで650ページを超える大冊だが、主人公の「私」の意識の流れ方に慣れたせいもあって、80ページを超えたあたりからはとても読みやすい。全十四巻でも人気の高い巻だという。

 ある少女――たとえばアルベルチーヌに散歩の堤防の上で出会ったとたん、どんなに恋焦がれることになろうと、それは「私」の意識がそのときの流れの途上にあるから「恋焦がれ」が起きたのであって、散歩が終わってホテルに戻ると友人の画家から手紙が届いており、たとえばアンドレの絵画的感性の高さをその手紙で教えられると、その晩はアンドレに会いたくて眠れなくなってしまう・・・・・。そんなことが、読みながら推測できるようになり、これまでの巻のように、登場人物の恋物語の揺れ動きには惑わされないようになった。

 主人公「私」の意識とは、もう一人の「私」が外側から眺めてみればコップの水に落とされたインクの拡散現象のようなものであり、「私という人間の唯一絶対の本性」なるものをさがすのは、「インク粒子の本質」をさがすような、「時を無駄に過ごすこと」であるとプルーストは言っているようにも思う。(おしゃべりなどで無駄に過ごされた時間のことを、皮肉なことに、普通のフランス語では le temps perdu と言う。)

 p538

 われわれは無関係な人の性格には通じているが、われわれと切り離せなくなる人の性格、その人の動機についてあれこれ不安に満ちた仮説を立てては、その仮説をたえず修正せざるを得ないような人の性格など、どうして把握できるだろう。愛する女性については、たとえわれわれがその人の心の軌道を描くことができても、愛しているその女性はそうするのを望まないだろうからである。だから私たちは彼女の「性格」に迫ってはならない。

 よくあることだが、アルベルチーヌはその日、私には以前の日々と同じ人物には見えなかった。おまけにその日のアルベルチーヌは、なぜか上機嫌と不機嫌が頻繁に入れ替わるように思え、私の中でもほんの数秒の間隔で、アルベルチーヌがほとんど無に近い存在になったり、限りなく貴重な存在になったりした。(p462)

 恋という現象が、相手の美醜や人間性によってひきおこされるのではないというプルーストの持論がこの巻でも何度か述べられている。

 p415

 ある女性を愛しているとき、われわれは相手に自分の心の状態を投影しているだけである。重要なのはその女性の価値ではなく自分の心の状態の深さである。それゆえつまらぬ娘の与えてくれる感動のほうが、優れた人と話したり美しい人を眺めたりすることで与えられる喜びよりも、われわれ自身の中の深遠で本質的な部分を自分に教えてくれることがあるのだ。

 この巻は舞台が夏のリゾート地なので、富裕層ならではのスノッブの人間喜劇がホテルや浜辺で皮肉たっぷりに展開される。裁判所長や公証人、弁護士会長たちの会話も面白いが、なんと言ってもゲルマント公爵の親戚にあたるヴィルパリジ侯爵夫人の描き方は読むほうが吹き出すほどに手厳しい。

 p191-2

 ヴィルパリジ侯爵夫人は、貴婦人たるもの裁判所長や弁護士会長たちのブルジョワに対しては、自分が尊大な人間ではないことを示さねばならないという、自分の受けた貴族としての躾を思い出していた。夫人に正真正銘の礼節がただ一つ欠けていたとすれば、その表し方が度を越していた点である。

 夫人は私と祖母がここに逗留のあいだじゅう、つぎからつぎへとバラやメロンを贈ってくれたり、本を貸してくれたり、馬車の散歩に連れ出してくれたりしたのだが、これはフォーブル・サンジェルマンの貴婦人ならではの職業的習性であると断言していい。貴婦人たちは自分が日によってはブルジョワに不満を抱かせる宿命にあることをつねに理解しているから、あらゆる機会をとらえてはブルジョワに対する愛想のよさを帳簿の貸し方欄に記入しておき、借り方欄には、のちのち招待してやれない晩餐会やパーティなりを記載できるようにしておくのである。

 この巻が書かれたのはドレフュス事件がおきた1894年の2、3年後らしいが、さすがのプルーストも当時の世界を覆っていたダーウィン主義、それに派生する人種偏見から自由ではなかったらしい。プルーストにしてこんな記述が、と思わせる数行がときどき見え隠れする。

 ドレフュス主義や聖職者至上主義や封建的な国粋主義は、個人よりもはるかに古い本性から不意に現れ出る。われわれは精神的な面でも、信じている以上に自然の法則に依存しているもので、われわれの精神も、ある種の隠花植物やイネ科植物と同様に先天的に規定されているにもかかわらず、それを自分で選んでいるつもりでいる。
 われわれが把握できるのは二次的思想だけで、その思想を顕在化させる第一要因(ユダヤの血やフランスの家系など)には気づかない。高尚な思想は熟慮の結果に見え、病気はただの不養生の結果に見えるが、マメ科植物がそのすべてをそれぞれの種子から受け継いでいるように、ともに家系から受け継いでいるかもしれないのである。(p532)

プルースト 『失われたときを求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに スワン夫人をめぐって』(岩波文庫)3/13

 翻訳者・吉川一義氏によれば、岩波文庫版全十四巻のうち読者がもっとも苦労するのが第三巻に当たる本巻らしい。スワンとオデットの娘であるジルベルトへの「私」の恋心と自意識が全巻を覆いつくしていて、その全長何千メートルもある蛇のような自意識の流れを書かれたとおりにたどっていけば、とても悠然とソファに寝転がって読み進められる代物ではないことがわかって、読者は途方に暮れてしまう。

 巻末 訳者あとがき p492

 プルーストの愛読者の中には小説に叙情的陶酔を求め、「さわり」だけを拾い読みするだけで満足し、『失われたときを求めて』も好きなページだけを読めばいいと考え、他人にもそう勧める人がいる。どのように読もうと自由ではあるが、そのような人は本巻「スワン夫人をめぐって」のように恋愛や芸術に関する抽象的考察がつづく箇所には歯が立たない。そのような陶酔型読者には、筋の展開をたえず中断して介入する脱線というか、注釈というか、長ったらしい省察などは、わずらわしいだけであろう。多くの読者が『失われたときを求めて』の完読をめざしながら挫折する主たる要因はここにある。

 p140

 前編第三部におけるシャンゼリゼでの出会いを受けて本巻では、「私」がスワン夫妻の娘ジルベルトに寄せる恋心の顛末が延々と語られる。その「私」はやはり、かつてオデットに対したスワンと同じく「自分の想像力がもたらした」<恋のようなもの>の病に冒された少年である。

 一月一日になると、私はお母さんと連れ立って親戚回りをしたが、その道筋にラ・ベルが今夜演じる出し物『フェードル』のポスターが貼られていた。それを見たとたん、私はハッと予感がした。元旦はほかの日と異なる日ではない、新たな世界の始まる日ではない、と感じたのである。
 その直前まで私としては、この新たな世界で、いまだ白紙の可能性を秘めたジルベルトとの交際をやり直せるのではないかと考えていた。あたかも「天地創造」のときように、いまだ過去が存在せず、ジルベルトから味わわされた失望も十二月三十一日をもって完全に消滅する新たな世界では、古い世界から引き続いて存続するものは何一つない、と考えていたのだ。

 元旦のほうは己が元旦と呼ばれているなどつゆ知らず、なんら変わることなくよい闇の中にくれていくのが感じられた。私は家に帰った。「私」が過ごしたのは老人の一月一日だった。その日に老人が若者と区別されるのは、もはやお年玉をもらえないからではなく、老人がもはや元旦など信じていないからである。

 

 

プルースト 『失われた時を求めて』 第一篇「スワン家のほうへⅠ」1/13(2013年9月26日分の再録)

 昔、新潮社・井上究一郎訳の8巻本を買って読み始めたわたしもそうだったが、『失われた時を求めて』を読もうとする人は最初の10ページほどで挫折する。岩波文庫の今回の新訳でいうと、有名な「ながいこと私は早めに寝むことにしていた」という書き出しから36ページの中ほどまで、本文が始まってわずか11ページ分ほどである。
 この冒頭だけが語り手のいつのシーンなのか分からず、以後どんな筋が動き出すのか暗示さえもない。しかも改行はほとんどなく、ワンセンテンスがとても長く、主語と述語の間が10行もあったりする。もちろん会話体は一切ない。これは、後の数千ページを考えると、相当しんどい事態である。

 今回の岩波文庫版の翻訳者吉川一義京都大学教授は、我慢は36ページまででよいとはっきり知らせてくれる。その36ページに1行アキがあって、それから以降、両親と祖父母と大叔母たちがいる19世紀のおかしなフランスブルジョア家庭に育った「わたし」の「心のなか」がゆっくり流れ始まる、と教えてくれる。吉川教授はこの36ページまでについても、その意味付けを冒頭に解説し、読者をいらつかせたり挫折させないようにしてくれている。吉川教授の簡明にして直截、自在にして達意な日本語によって、プルーストはものずきな研究者だけの、敬うけれども遠ざけておきたい宝物ではなくなった。見開きの左ページについている訳注も丁寧で簡潔、過不足がない。
 この子供の「心の流れ」はサルトル『言葉』の幼年時代のものとほとんど同じである。『失われた時を求めて』でも、十歳前の子供の「心のなか」を後年の「私」が「流れ」に再構成しているのだが、子供の「心のなか」はそのままを記述しても大人が理解できる「意識」にはなりようがなく、プルーストサルトルも、「九歳なりに、崩壊した世界の底から不可能な『理念』を観想している」ような子供を書く。つまりすべてが未成熟なかわりに、善も悪も他人の行為を見つめる視線も、すべて芽吹いて揃っている 「小さな大人」 を書く。
 この「心の流れ」とは文法も時制も無視し、読者の想像を超えてかって気ままに自動記述されていくようなたぐいのものではない。プルーストには読者の理解をあえて拒絶するような難解ぶったところはない、これまでの日本語訳でそう思われてきたのは翻訳者が「厳密な意訳」をしてこなかったからだ、ということを吉川一義教授の訳文は見せてくれる。
 p107 
 今、日本の小説家の誰が以下のような文章を書けるだろう。プルーストが『失われた時を求めて』を書いてからは、「以後、小説家は波瀾万丈のプロットづくりに精を出すしかなくなった」と極言されるのがよく分かる。それは、
 「母は、文章をふさわしい口調で読むにあたり、言葉では示されていないが、文章が生まれる以前に存在し、その文章を書き取らせたはずの温情あふれる調子を見出した。その調子のおかげで朗読中の母は、動詞の時制にありがちな乱暴なところを和らげ、半過去と定過去に、善意に含まれる優しさ、愛情に含まれる憂愁を注ぎ込み、終わりかけの一文をつぎに始まる一文へと導き、シラブルの進行を速めたり弛めたりしては、長さの異なるシラブルを単一のリズムに吸収し、ジョルジュ・サンドのありふれた散文に、いわば情感あふれる持続的生命を吹き込んだのである。」  というような文章のことを指す。
 p109−10 
 育ったコンブレーは、ながいこと、私にとっては七時に上らなければならない二階の自分の部屋と階下の母のいる客間だけでできているように回想された。かりに問いただす人がいたら、私とて、コンブレーにはほかのものもほかの時間も存在していたと答えたであろう。だがそんなふうに想い出したとしても、それは意志の記憶、知性の記憶によって提供されたもので、それが過去について教えてくれる中に過去はなんら保存されていないので、私としてもほかのコンブレーをけっして想いうかべようとしなかっただろう。われわれが過去を想いうかべようとしても無駄で、知性はいくら努力しても無力なのだ。
 p111・115
 失われた時を求めて』の中でいちばん有名かもしれない 「マドレーヌの匂いの記憶」 はこの第一巻に出てくる。たしかに『失われた時を求めて』らしい挿話ではあるのだが、このようなことは第二巻以降も、いくらでも出てくる。なぜ第一巻のこれだけが有名なのだろうか・・・? 
 コンブレーに関するすべてものをよみがえらせたのは、後年、レオニ叔母が出してくれた一切れのマドレーヌの匂いである。それは、幼いころ風邪気味の私に母が紅茶といっしょに勧めてくれたひとかけらのマドレーヌにまつわる記憶だった。そのひと口が口蓋にふれたとたん、わたしは身震いし、小さなわたしは内部で尋常ならざることが起こっているのに気づいた。えもいわれぬ快感が私に中に入り込み・・・・・・人生の災厄も無害なものに感じられ・・・・・・もはや自分が凡庸な偶然の産物で、死すべき存在だとは思えなくなった。人びとが死に絶え、さまざまなものが破壊されたあとにも、ただひとり、はるかに脆弱なのに生命力にあふれ、はるかに非物質的なのに永続性がある・・・・・そのようなものこそ、匂いと風味である。
 p194 
 次の数行も、サルトル『言葉』に書かれてあってもまったくおかしくない章句である。サルトルプルーストを深く読んだというよりは、こういった内省の仕方が、フランス知識階級には一般的ということなのだろう。
 私の思考こそ、もうひとつの隠れ家といえるのではないか。わたしはその隠れ家の奥にもぐりこんで外のできごとを眺めている気がする。自分の外にある対象を見つめるとき、それを見ているという意識が私と対象のあいだに残り、それが対象に薄い精神の縁飾りをかぶせるため、けっして対象の素材にじかにふれることができない。・・・私のうちに存在したもっとも内密なもの、把手のようにたえず活動して残余のすべてを統御していたささやかなものは、読んでいる本の哲学的豊穣さ、美点に対する信頼であり、それをわがものとしたいという欲求であった。・・・真実と美のなかば予感され、なかば理解不能なところを認識するのが、漠然としているとはいえ永久に変わることのない私の思索の目的と思えたのである。
 そのような意識のなかに同時に併置されるさまざまな状態を内から外へとたどりつづけ、それらを包みこむ現実の視界に到達する前に最後に私が見いだすのは、たとえばサン=チレールの鐘塔で時を告げる鐘の音や、フランソワーズが用意してくれるおいしい食事という別のジャンルの楽しみだった。
 p260
 (衰弱し、少し頭のおかしくなっていた)大叔母は、私たち家族のことは心底から愛していたが、その死を嘆き悲しむことにも喜びを感じたはずである。気分がよく汗もかいていないときなど、家が火事だという警報が舞い込むことは、しばしば叔母の期待にとり憑いたに違いない。そうなれば長期にわたる哀悼のなかで家族に対する自分の愛情を味わい尽くすことができるうえ、村中が唖然とするなか喪主をつとめ、今までは打ちひしがれた瀕死の老人が健気にきちんと立つ姿を見せられるという副次的利点もあったからである。
 大叔母が、孤独のなか、えんえんとカードの一人占いに熱中しているとき、きっとこの種のできごとの成就を期待したにちがいないが、もちろんそんなことはいっさい起こらなかった。二度とその口調を忘れることができない悪い知らせに刻印されている現実の死は、論理的で抽象的な死の可能性とはまるで異なるからである。
 p309
 スワン家の娘ジルベルトに初めて会ったときの少年・「私」のまなざしの精密な描写。
 私のほうも少女を見つめた。最初のまなざしは、目の代弁者というだけでなく、不安で立ちすくむときには全感覚がまなざしという窓に動員されるように、眺める相手の肉体とともにその魂にまで触れ、それを捉えて連れて行こうとするまなざしである。ついで第二のまなざしは、祖父と父がいまにもこの少女に気づき、自分たちのすこし前をさっさと歩くように命じて私を遠ざけるのではないかと怖れたからであろう、少女が私に注意をはらい、私と知り合いになるよう、無意識のうちに懇願するまなざしになった。
 p315
 「スワン」という名前を聞くと私はようやく一息ついた。それほどこの名前は私の心が窒息するほど重くのしかかっていた。その名前がほかの名前より中身が詰まっているかに感じられるのは、前もって私が心のなかでそれを口にした回数分だけ重くなっていたからである。
 p347
 心の底の裏の裏を三回ほどひねりまわした後の「素直な思い」を正確に記述できるプルーストの技術。夏目漱石も同じレベルの熟練の技を『明暗』の中で、読むほうがつらくなるほど使っていた。
「開けときなさいよ、暑いの」と友だちが言った。
「だって困るでしょ、見られたら」とヴァントイユ嬢が答える。
 しかしヴァントイユ嬢は、友だちのほうは、自分がそう言ったのは相手をそそのかして返事として別の言葉を言わせるためで、その言葉が聞きたい本心は深く包み隠しておいて相手が率先してそれを口にするのを期待していると考えるだろう、と推察した。