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オルハン・パムク 「無垢の博物館」 1

 最初は奇妙なタイトルだと思った。結婚を目前に控えた(『雪』のKaに似た)主人公ケマルが、遠縁の十八歳の(これも『雪』のイペッキに似た)フュスンとふとしたことから情交を重ねる。物語の前半部のケマルは「愛を育もうとする危険な領域には過度に足を踏み入れまいとする(七二頁)」臆病なのに女好きのおバカな坊ちゃんである。
 しかしケマルの「愛」は無垢そのものであることが、残酷な裏切りと嫉妬と精神的凌辱が複雑に絡まりあって「証明」されていく。口紅の付いたハンカチやイヤリングの片方や磨り減った歯ブラシや歯型の付いたチョコレートのかけらなどがフュスンの家から持ち出され、ケマルのアパートにたまって行くが、それらをもとにケマルは「現代トルコの無垢な愛の博物館」を造る・・・・。
 ただのフェティシズムの話という人もいるだろう。しかし、絶望したフュスンが車でひとり大木に突っ込んでいくエンディングは、トルコという半西洋世界の中では絵空事ではないし、絵空事と見る西洋の明るいニヒリズムが何を生むわけでもない。初めてケマルと寝たときのフュスンの顔が「以後の人生を一人で引き受ける決意を湛えていた」ことも、ボスポラス海峡の西側ではとうに蛻(もぬけ)の殻になってしまった「経済ノイズのない生」が、虚空の近くには存在することを語っている。
 わたしには、個人的に胸に迫るものがあった。この本を読みながら、読むスピードが確実に遅くなっていることに気づいた。しばらくぶりに会った、ごく親しかった友人Aがしてくれた、ケマルと、彼を裏切った(のではなかった)フュスンに起きたことのような話のせいである。Aの話の一部分はあまりにこの本に似ていた。Aもまた自宅に、Cという女性のヘアピンや短くなった口紅、ほつれたTシャツの糸くず、破れた写真、乾燥しきったクロワッサンのかけらなどを、一つずつ小さなアクリルケースに入れてきれいに並べていた。
 Cさんはわたし自身、以前よくAといっしょのところを見かけたことがある。びっくりしたときのような大きな目で相手をまっすぐに見て話す、とても美しいひとだった。フュスンが出てくるとCさんのことが思い出された。
 大きな外科病院を経営している裕福なAの、明るい書斎に並ぶそれらの品々はいかにもその場にそぐわなかった。「たとえあいつのであろうと、記憶は風化してしまうだろう。風化すると、俺はつじつまをあわそうとして、欠けたところを多分、捏造しようとする。ヘアピンや口紅や糸くずはそんな俺のごまかしを防いでくれる。ごまかしを続ければ、俺の中の少しはまともだったところが全部見えなくなってしまう。俺は自分をクズだけでできているように思えてしまう。」と、あまり見せない深刻な顔をしてAは言っていた。
 Aの最初の夫人は五年前、Aのメルセデスを運転中に自宅近くの大きな川に転落して亡くなっている。地元の新聞に大げさに報道されていたが、Aはそれについては「まぁ新聞だから・・・」と言うばかりだった。Aがいまの夫人には何をどう説明しているのか知らないし、わたしはゴシップ記事を書こうとしているわけではない。
 学生の頃、AとCさんの仲のよさは有名だった。わたしがぶらりとAのアパートに行くと「ああゴメン、今日は・・・」と言って、ドアを開けてくれないことがときどきあった。だから、周囲の皆は、AとCさんはそのまま夫婦になると思っていた。ところが三代続く医者の長男だったAは、MDを取るとまもなく他の医者の娘(自殺?した夫人)と婚約した。そのときCさんとの間にどんなやりとりがあったかは、Aは目を逸らしながらわずかのことしか洩らしてくれなかった。
 Aの結婚とほぼ同時に、Cさんは高級公務員と結婚した。鼻筋の通った色白のその公務員には妙なくせがあった。Cさんはまもなく、過去のAとのことに気づいて嫉妬した公務員のドメスティック・バイオレンスに遭い、一年後に離婚してAと同じ街の実家に戻った。
 「家内とデパートを歩いていたら、Cが偶然俺たちを見かけたらしい。あくる日メールが入ってね。それが二度目の始まり・・・」とAは再会のときのことを話してくれた。「家内とは普通だったよ。けど、まだ新婚二年目だったのに、Cと隠れて逢うようになっても疚しい気持は少しも起きなかった。なぜなんだろうね。家内よりはCのほうがずっと俺のことを、小さなしぐさとか、声の落ち方とか、目の上げ方とかの意味をよく分かっていたからね。Cといると、逆にこれから家に帰るほうが疚しいことのような気になった。昔、本気で惚れてたんだろう、仕方ないな。他人事みたいな喋りかただな・・・。」
 薬学のPhDを持つCさんは、フュスンのように十八歳の娘ではなく、ゴミのような男も扱った大人だったが、そのCさんが数回目のデートのときにこの本の百十二ページのようなことを言って泣いたらしい。 
 「そのときから俺はちょっとだけおかしくなったのかもしれない。家ではちゃんと飯食うし、子供も三人も続けざまに孕ませるし、仕事も所得番付に載るほどやるし・・・、でもそうやって仕事に精出すほど、何をしていてもCが頭の中にちらつくようになっていったな。たまにCのアパートで逢うときは、ハンカチやヘアピンや口紅もらっていいかと訊いて、『あなたは昔から変態だった?』ってよく笑われた。」
 「家内は、気位の高い女だったし、はじめのうちは何も訊かなかった。掃除のとき机にヘアピンがあると平気な顔で捨てていた。そのうち、いくら捨てても別のモノが増えていくので、だんだん俺に口を利かなくなっていった。子供が十歳過ぎると寝室が別になってね。」
 「そして六年前、家内と子供が、春休みにハワイへ行ったんだよ。俺は東京で重篤な患者の手術予定が入って、これは本当だよ、行けなかった。東京にはCが自分の車でついてきた。で、俺が執刀する日、Cはヒマだからと言って幕張のほうへひとりで遊びに行った。そのときあの首都高速の事故が起きたってわけ。BMWって乾いた路面であんなにすべるだろうか、Cは運転うまかったんだよ。わざと後輪をスライドさせたり、冷静に逆ハンを切ることもできた。車については詳しすぎるほど詳しかった・・・。」
 「家内の顔が決定的に暗くなったのは、Cが死んで、形見を一つずつアクリルケースに入れてからだな。そりゃそうだよな。俺が飯を一人で食うようになって一年ほどして、俺の車が深い川に落ちた・・・」

 p78
 わたしはフュスンを愛していたのだろうか?深い充足感は感じていた。それゆえにこそ不安を覚えてもいた。この、幸福を真剣に捉えることの危うさと、軽んじることの下劣さの間で板ばさみになったわたしの魂が、ひどく混乱していたのは確かだ。
 p112
 「あなたに恋をしてしまったの。一日中、あなたのことを考えているの。朝から晩まであなたのことを想っているのよ」フュスンは両手で顔をおおって、泣いた。
 「君のように美しい娘に、誰もが恋をするんだよ。その君が恋をしたといって嘆くなんて、そんな馬鹿げた話はないよ」
 わたしの最初の反応は、阿呆のようなにやけ顔であったと告白しなければならない。しかしそれを面に出すへまはしなかった。内心の喜びを押し隠して、驚いたように眉を吊り上げて見せた。人生で一等真摯かつ充実した瞬間であったにもかかわらず、わたしはなおも衒った態度を取り繕っていたのである。(この傲慢を、のちにわたしは激しい悔恨をもって思い知ることになる。)この、得意の絶頂と悔恨の深淵の同じものを、Aも味わったのだろう。
 p115
 自分の人生があたかも小説のように掉尾にさしかかっていると予感してときに初めて、人は至福の記憶を選別できるようになるのだ。