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ポール・ヴェーヌ 「“私たちの世界”がキリスト教になったとき」(岩波書店) 4

 p164
 西洋は他の諸文明がなした以上に人道主義、温和さを涵養あるいは奨励したとみなされている。しかしキリストの掟は、封建時代においては、近代人には不可解な暴力への思考と何の困難もなしに結びついていた。ムハンマドの教えも温和を基調としているが、アラブ世界ではいまだにそうである。
 p166−8
 キリスト教の普遍主義というのも人を欺く言葉である。布教に熱心な排他的宗教というほうが正確である。異教の思想家たちのほうが普遍主義者といえるだろう。ギリシアではどんな外国人もギリシアの神を崇拝してよかったし、また崇拝しないからといって断罪されることはなかった。
 イエスの人格のカリスマに魅了された弟子たち――キリスト“教”の実際の創始者たち――は、師のメッセージを広範囲に売りつけることに熱中する者たちだった。彼らの前には異教の帝国という、「救いを必要としている人々」の巨大な市場が潜在的に開かれていた。この誘惑に誰が抵抗できるだろうか。目の前に世界市場が開かれるのを見て、この新しい宗教が 「すべての人間が永遠の救済のために自分たちを必要としている」 と勘違いしたとしても無理はない。
 千七百年後のいまも、EU議会ではヨーロッパの基底がキリスト教にあるということを憲章に書き込んでおくべきだったかという激しい議論がある。キリスト教の自己満足は限界を知らない。
 p172
 現代ヨーロッパへのキリスト教の寄与は、カントやスピノザよりも大きいのではない。「援助を必要としている者たちを救うことは、個々人の力を超えている。貧者への配慮は社会全体の課題である」と『エチカ』に書いたスピノザは、福音書よりもわたしたちに近い。パウロは「教会の椅子は富者にも貧者にも平等である。ただし貧者が社会的もしくはキリスト教的謙譲によって最後列に座る場合は除く」とのたまわったものだ。
 p177
 確実なことがひとつある。もし聖戦がガリラヤ湖の慎ましい漁師たちに対して説かれ、山上の垂訓がベドウィンの戦士に対して説かれていたなら、イエスムハンマドという二人の説教者は大した成功に恵まれなかったろう。
 p192
 現代人から見れば驚くことだが、我々の精神は、古代ユダヤ教の時代、断定と否定という論理的な作業をできなかった。言われたものの見積り価値を下げること、受け取りを拒否することが「否定」のことだった。
 まして、抽象的な思考に慣れていない精神にとって非存在という観念はほとんど接近不可能であった。他部族の信仰が唾棄すべきものと感じても、真実と誤謬のカテゴリーは明晰でなかったから、他部族の神々は見積り価値が下がるだけであった。だからどの神々も放逐されず、部族の数だけ神があった。この事情は古代ギリシア人も変っていない。とはいえ、ユピテルの非存在を証明するのは現在でも不可能であるが。
 p205
 ローマに先立ちアッシリアバビロニアペルシャ、ヘレニズムのギリシアなどの大帝国によるイスラエル征服の衝撃によって、イスラエル異教の神々は土着の地方神に成り下がっていた。ヤーヴェのみがそれまでに内戦を勝ち残り、イエスの頃にはイスラエル唯一の天地の神としての地位を確立していた。ヤーヴェとその律法はイスラエル全土に固有の慣習となり、その民族的アイデンティティを構成していた。だから違反する不信心者は、唯一神を信じないという「過ち」を犯した「異邦人」として扱われるようになった。ユダヤ教はこのときに成立した。
 p212
 現代の私たちには、非物体的な精神という概念はまったく単純なように思えるのだが、しかしこの言葉でもって自らが何を考えているかをつねに知っているわけではない。