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マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)1/3

 訳者(内田芳明)まえがき
 賤民宗教のユダヤ教世界宗教に発展したのはなぜか
 近代西洋の文化形成の根底にはウェーバーの言う「合理的(禁欲的)実践的生活態度」があるが、この「合理的日常倫理」への道を世界史上最初に踏み出したのが、ほかならぬ古代ユダヤ教だった。
 ただしこのことは一つの深刻なパラドクシーとして成立した。イスラエル民族がバビロン捕囚後に「ユダヤ教徒」として結集し生き残ったとき、彼らは賤民存在(パーリア)だったのであり、「ユダヤ人ゲットー」のように、周囲の環境とは宗教的に遮断され、「合理的日常倫理」とまったく矛盾する二重道徳(共同体の内部と外部との道徳を使い分け)を本質とする共同体だったからである。
 以後ずっとこの「パーリア民族」は二重経済倫理に基づく「賤民資本主義」(例えば高利貸し資本)として西洋社会の中にネガティブな意義を持ち続けていくことになる。
 この二重道徳の原則を廃棄して「合理的日常倫理」というポジティブな遺産を継承し、これを教えの基礎にするという重大な事業に果敢に乗り出したのが福音宣教者パウロだった。エスを床の間に飾り置いたパウロこそ、キリスト「教」の始祖なのである。パウロなくしてキリスト教世界宗教になることはありえなかった。
 その後のキリスト教伝道がどうなったかは高校の世界史教科書に書いてある通りである。千五百年後にはゲルマンを中心に、一部フランス、一部アングロサクソンの中に、腐敗しきったカトリックからプロテスタントが脱皮生長した。(ただしこれは現在のプロテスタントのなかに中世カトリック教会とは別の意味の腐敗がない、ということでは決してない。)
 今日の世界を覆い尽くす資本主義者のエートスが、そうした熱心なプロテスタント信者の「実践倫理」の中にすでに胚胎していたことも、記念碑的名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、ウェーバーが私たちの脳の深部に届く知識として教えてくれたものである。

 始まりの始まり  
 p22
 パウロの事業は、旧約聖書というユダヤ人の聖書となっていたものをキリスト教の側へと救い出し、しかも旧約聖書の倫理の中でパーリア民族状況に由来する特徴的な儀礼を(もちろんイエスが無効と宣言したがゆえに)一切排除したことにその意義がある。
 このパウロの事業がなかったら、ヘレニズム文化圏において霊的教派や密儀教はありえたかもしれないが、狭い「ユダヤ」を超えた普遍の教会と倫理はありえなかっただろう。もしまたユダヤ人を、かれらの遮断性を基礎づけている律法儀礼から解放しなかったら、キリスト教団はパーリア民族の小さな宗教セクト以上の存在にはならなかったであろう。
 p58
 旧約聖書期のイスラエルでは、都市に住みながら大土地所有者である氏族に軍事力と富が集中し、名望家としてカリスマ的地位を持っていた。こうした諸氏族の地位はローマの「土地所有完全市民」と一致している。ペリシテの騎士階級もこうした士族出身の戦士から成り立っていた。
 このあたりは、ヨーロッパ古代・中世の騎士階級、近世・近代のフランスブルジョア階級、イギリスジェントリー階級もまったく同じであり、ユダヤキリスト教文化圏社会の基本的な元型である。
 p84
 イスラエル自由農民は人格的には自由であるが、積極的な政治的諸権利、なかんずく裁判職に参与することは許されていなかった。都市貴族が彼らを搾取し、彼らを債務奴隷化し、法の歪曲を行い圧迫していることについての憾みが旧約聖書の全編を貫通している。このような経済的対立が形成されていたという点でも、イスラエルは全ての初期古代都市と共通している。
 p87-9
 当時、大土地所有諸氏族の外側には、鉄器製造のできるもっとも重要な手工業者である鍛冶屋などが、イスラエル全体の客人民族として存在していた。彼らは祭儀のための装備品を供給する階級なのだが、その地位は南インドのカンマラルという王室手工業者を想起させる。重要な手工業者が南インドの部族とも混血しながら、宮殿建設や軍事的要求のために組織されていたと仮定できる。
 p92
 彼らはのちに、官職には就けないにしても、ヤアウェを信奉すれば完全なユダヤ人とみなされるようになる。ということは典型的身分差別はあったが一つの都市的「デーモス(市民階級)」が成立していたことを意味する。
 しかしながらこの「市民階級」はギリシアやローマの市民階級、中世のポポロ(ピープル)とはかなり異なる。かれらは差別された手工業者にすぎないのであって、西洋の市民の政治的基礎となった古代・中世の「市民軍としての軍事組織」概念が、まだこの時代には欠如していた。