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新聞から 「横尾忠則の書評コラム」

 三月二五日(日)の朝日新聞「読書」欄に、著名なイラストレータ横尾忠則氏が、『長寿と性格』(H・S・フリードマン、L・R・マーティン著)という本を批評したコラムがあった。朝日の整理記者は、『ジョギングよりも勤勉性』という見出しをつけていた。
 横尾氏の本文がとても奇妙だったので、少し長くなるがこのコラムの核となる部分を引用する。横尾氏は、自分が好きだった三島由紀夫のあの死に方にも触れているが、コラム全体の趣旨とはあまり関係がないので、引用では省く。
 「・・・・(この本の著者は)健康と長寿のカギを握っているのは性格で、最も重要なのは「勤勉性」だという。ダイエットもジョギングも関係ない。慎重、注意力、責任感、礼節、計画性、ねばり強さ、思慮深さ、社交ネットワークなどなどだ。」
 「・・・・本書は長寿の性格と同時に短命の性格も指摘している。芸術家には長寿が多いが、中には長寿の条件に反する性格パターンの持ち主もいるだろう。にもかかわらず芸術家が長寿なのは、――米国のルイス・ターマン博士という人は、上記の長寿と勤勉性の関係を、約千五百人を対象に八十年間追跡観察しているが――、ターマン博士の挙げるものの他にも、別の因子がありそうだ。例えば芸術家は「勤勉性」の他に、創造に伴う本能的な感性や霊感の受信能力が異常に敏感である。このようなことも長寿の条件に加えなければ、芸術家の異端的な性格にもかかわらず長寿であるということが、理解しにくくなるからだ。」

 横尾氏の文章がとても奇妙だというポイントはいくつかある。A.「慎重、注意力、責任感、礼節、計画性、ねばり強さ、思慮深さ、社交ネットワークなどが長寿の鍵を握っている」ことに、横尾氏は評者として何の留保も付けていないこと。B.「芸術家には長寿が多い」と、横尾氏はどうも本当に思っているらしいこと。C.「芸術家は創造に伴う本能的な感性や霊感の受信能力が異常に敏感である」とも本当に思っているらしいこと、の三点である。
 まずA.について: 「慎重、注意力、責任感、礼節、計画性、ねばり強さ、思慮深さ、社交ネットワークなど」に欠けているのに長寿、という人はいくらでもいる。これらをすべて備えた長寿の人こそ、逆に少数ではなかろうかと思えるくらいだ。こういった“民間信仰”に属するようなテーマに関しては、評者として一定の留保をつけなければ「書評」として成立しない。
 B.について: ショパンモーツァルトランボー滝廉太郎青木繁石川啄木中原中也、・・・・・短命の芸術家を挙げることは簡単である。横尾氏の頭の中では、何歳以上が長寿の基準であり、誰々がそこに入っているのだろう。一般の朝日読者ならごく素直な疑問である。
 C.について: 「本能的な感性や霊感の受信能力」とは、なんとも直截な表現だ。新興宗教の教祖の説法を聞いたときのように、ためいきが出てしまう読者も多かっただろう。
 世界的なイラストレータ横尾忠則氏も、異分野の書評を書こうとすれば、ただの素人以下であることはよく分かった。それはいいだろう。そういうこともあるだろう。しかし、朝日の編集者には、横尾氏以上の咎がある。朝日と横尾氏の付き合いは長いはずなのに、コラム執筆依頼にあたって決定的なキャスティング・ミスをした。そして原稿を読んだ後も、横尾氏に修正を(おそらく)申し入れることができなかった。
 一九九六年に経済学者・岩井克人氏が、朝日新聞社とモメたことを思い出す。朝日の「フォーラム二十一委員」を委嘱されていた岩井氏は 『憲法九条および皇室典範改正私案』 というエッセイを寄稿したのだが、「説得力がない」として掲載を拒否された。自分たちが依頼した原稿を受領拒否したことに驚いた岩井氏が、ただちに抗議し二カ月以上も交渉したところ、朝日側は「天皇制の問題ではなく、憲法九条の改正を論じた部分が新聞社の基本方針と合わないから掲載できない」と見え透いたことを言ったという。大物東大教授としての岩井氏の知名度と、皇室典範改正に具体的に踏み込んだ強い調子のエッセイの間に、身悶えする朝日新聞の真顔が垣間見えて、とても面白かった。
 あげくの果てに岩井氏に、ちくま学芸文庫でことの経緯を暴露されれば、「とりあえず、とりあえず」で何ごとも突き詰めてこなかった大新聞社の「サラリーマン知識人」ぶりは隠しようがなかった。今回も同様である。