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グレアム・グリーン 「事件の核心」(ハヤカワepi文庫)

 p27
 市民を疑うことを仕事とする探偵スコービーは、それにもかかわらず、晴雨計のほかの針が全部「暴風雨」のほうへ回ったずっと後まで「晴天」を指している、遅れがちな針のようだった。疑いは彼にとって真実の「詩」であったのだが、彼はよく女にモテる男がそうであるように、純情すぎるのだった。
 p117
 スコービーは、若者に戻ったとしても、そのときもほかの人間と人生をともにしたくはないと思うだろう。浴槽のネズミと、壁のヤモリと、午前一時に窓を拭き開く竜巻と、日暮れどきの赤土の道を照らす最後のピンク色の光とは、これまで同様、人生をともにしても。
 自らに不可能な目的を課す人間が支払う代償は絶望である。絶望はキリスト教徒にとって許されぬ罪だと言われるが、絶望は不正邪悪な人間が決して犯すことのない罪である。不正邪悪な人間は常に希望を持っており、絶望的な失敗を知るという氷点に達することはけっしてない。
 p273
 スコービーは窃盗犯六人の証人を尋問したが、彼は誰のひとことも信用しなかった。ヨーロッパでの事件の場合、証言の信用性に対して、真実と虚偽の間に理論上の一線を引くことが可能である。少なくとも「誰に有利か」の原理はある程度生きており、たとえば窃盗事件であれば、少なくとも何かが盗まれたと推定してまず間違いない。盗難保険の問題がからんでいなければ、の話だが。
 だが彼が探偵をしているシェラレオネの海岸地域では、盗まれた事実から疑ってかからねばならない。自転車が盗まれたという訴えが商人Aからあったとする。だがそれは、自分の給仕に盗ませたのではないか。その給仕の弟が商人Aの商売敵Bの下で働いていて、弟は兄から聞いたAの狂言をBに伝え、Bが警察に話してAが逮捕されるかもしれない。さらに、Aがいつも警察に贈賄している男なら、弟給仕が狂言を警察に話した直後、弟給仕に月給の数倍の金をやって遠くに行かせれば、起訴にあたってBは証人を失うことになり逆に誣告罪で逮捕される。
 p298
 神父は主祷文を五回と天使祝詞を五回祈れと言うが、スコービーにとって困った問題は、彼はただ悩んでいるだけで、許してもらう罪がなにもないことだった。祈りの言葉は慎重に寄せ集められたラテン語、まやかしの呪文に過ぎなかった。それで神に近づけるとは! 神は大衆扇動政治家のように、自分の信奉者のもっとも卑しいものに対してさえ、いついかなるときにも胸を開いている何者かであった。
 p301
 私たちがある人に向かって「あなたなしでは生きていけない」と言うとき、その本当の意味は「あなたが生きていると感じながら、私が生きていくことはできない」ということなんだ。それだけのことなんだ。相手が死ねば責任は終わる。それ以上私たちにできることは何もないのだから。
 p427
 救われることについて、われわれカトリック教徒の難点は、解答を知っていることだ。告解室でひざまずき、知り合いの神父に告解し、神父が「そのような機会は避けなさい」と命じるのを聞き、痛悔の祈りをすること・・・・、これほど世界の人にばかにされる救いの知識があるだろうか。
 p504
 「神父よ、おまえは神である私を信用できないのか、忠実な犬を信用するように?神である私は二千年間おまえに対して忠実だった。おまえがしたことは、ベルを鳴らし、告解室に入らせ、喋らせることだけだったではないか。そして神である私にできることは、それを黙然と聞いていることだけだった。」
 p531
 「奥さん、わしら神父は教会の教えはよく知っておる。教会の規則については何でも知っておる。だが一人の人間の心の中で起こっていることについては、何も知らんのだよ。奥さんがご主人の心を知らんようにね。」