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ペール・ラーゲルクヴィスト 「巫女」(岩波文庫)

 磔刑の場に無理やり歩かされるイエスらしい男が冒頭に登場するので、キリスト「教」を扱った小説と思って読み始めたら、そうではなかった。葬儀の式次第を立派にしてきただけの教会や、地上の帝国主義と手を携える人身売買のような「布教」の実態や、高値の天国入場許可証など、ウォール街の投機家も青くなるような坊主の悪徳には一行も触れていない。
 そんな、宗教の社会的「有用性」には目もくれずに、スウェーデンの作家ラーゲルクヴィストは、西洋人にはどうしても避けられない「運命」すなわち神の「意志」を正面から描こうとする。ラーゲルクヴィストは、三千年前にわれわれが作り上げた「ユダヤ=キリストの神」の、残忍ときまぐれと無関心と愛に対して、比喩をまじえず力わざで格闘するような思索を続ける。
 冒頭の引かれ行くイエス、神が自分の巫女の不貞に怒り、巫女を神殿で犯して産ませた白痴の「神の子」、生贄の黒い山羊、巫女の出産に立ち会い白痴が成長してもまといつく不思議な山羊など、ふだんは出てこない象徴がからみあって日本の読者には少し難解である。

 p85
 「巫女としてのわたしの霊感は神のものだ。しかし神=わたしの支離滅裂な言葉のなかから意味を拾うのは神官である男どもだ。神=わたし、というものの最深部に分け入り、それを明らかにするのはあの腐りきった連中なのだ。わたしは、わたしのなかにただあの方を感じるだけだった、あの方に満たされるだけだった。そしていつも巫女の技が終わると打ち捨てられた。」
 p108
 巫女だった死んだ母は、父が作った棺に運ばれ、タイムとオリーブの小枝を敷き詰めた上に寝かされた。父がひとりでテンニンカの冠を編み、それを母の頭に結んだ。母は今では神格を授けられ、いくぶん神性をおびていたのだ。
 棺のなかの母は地中におろされ、新鮮なオリーブの葉の上に横たわった。それから父が土をかけ、慣わしに則って墓に穀物の種を蒔いた。穀物を育む母は死ではなく生に属していたからである。
 p209
 母が産まされた白痴の息子は、「まったくの無意味」もまた神性であるということを教えるためにだけ、この世にやって来たのかもしれない。
 p212
 「あの方は、解かれるために在るんじゃなくて、ただ在るために在る謎なんじゃよ。」