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V.S.ラマチャンドラン 「脳の中の幽霊」(角川文庫)3/4

 鏡のむこう
p205−6
 鏡に映るペンを取ろうとして鏡面に手をぶつけてしまう鏡失認の患者たちは、鏡と向き合っただけで現実と幻想との境界領域に押しやられてしまう。鏡像が右側にあるのだから物体は左側にあるはずだという、きわめて単純な論理的推測ができない(あるいは関心が起きない)のである。
 私たちはふつう、自分たちの知能や物理のような知識などは、感覚入力の気まぐれな変動に影響されないものだと思っている。しかしこの鏡失認の患者たちは、それが必ずしも事実ではないと教えてくれる。
 鏡失認の患者たちに、鏡の中に見える物体の「本当の位置」はどこかとたずねるのは、(たとえば√3という)無理数が(1.5と2.0のあいだに)実際に存在するだろうかと聞くようなものなのだ。バガヴァッド・ギーターにあるとおり、人は「信念」によって作られている。そうあるべきと信じるように存在するのである。
 自分失認
 p231-4
 自分の麻痺を否認する患者は単に面目を保とうとしているのではない(ことが多い)。その場合、否認は心の奥深くに根を下している。
 「自分には麻痺はない」という患者の見え透いたコメントから医師が分かるのは、脳の中にいる「誰か」は患者に麻痺があることを知っているが、患者の「意識」はその情報にアクセスできないという状況である。
 その患者の左外耳道に冷水を注入すると、すぐにこの病態失認が一時的になくなる。何週間も継続的に否認していた患者が、そうなるのである。麻痺の記憶が脳のどこかに記録されていて、ただそれにアクセスする道が閉ざされていたのだ。ただし一時間もするとアクセスする道は再び閉じられ、左手がだらりと垂れ下がっているにもかかわらず、自分の両手は健常であると真顔で言い始める。
 p266
 自分は死んでいると断言するコタール・シンドロームという異様な障害がある。両親など近親者をみて「この人は親の偽者だ」というカプクラ・シンドロームの極端な形である。
 カプクラ・シンドロームの場合は顔を認識する領域だけが扁桃体との連絡を絶たれているが、コタール・シンドロームの場合はすべての感覚領域が扁桃体と連絡しておらず、そのために周囲の世界との情動的なつながりがまったくない。つまり死の体験に近い情動の孤島に取り残された状態に置かれているのである。コタール・シンドロームは大半の人が精神病とみなす奇異な脳障害なのだが、じつは神経回路をめぐるこのような既知の観点から説明できる。