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夏目漱石 「こころ」(岩波文庫)2/2

 「世の中には、否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って、嬉しがっている人もありますが、それは愛の心理がよく飲み込めない鈍物のすることと、当時の私は考えていました。つまり私はKに比べて、きわめて高尚な愛の理論家だったのです。(p223)
 「ある日、Kが私を図書館から散歩に連れ出し、悄然たる口調で、自分が弱い人間であるのが恥ずかしいと言い出しました。なんで私に聞かせるのかと尋ねると、お嬢さんに対して進むべきか退くべきか迷っているからだと答えました。
 「Kの重々しい口から、お嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は化石のようになり、口をもぐもぐさせる働きさえなくしてしまいました。彼の話は細かい点になると殆ど頭に入らないと同様でしたが、それでもその言葉の、容易なことでは動かせない重い調子だけは強く胸に響きました。つまり、Kは私より強いのだ、という恐怖の念が萌し始めたのです。(p226
 私は丁度他流試合でもする人のように冷淡に、Kを注意して見ていました。切ない恋を打ち明けるKは、穴だらけというより、むしろ開け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。そうして私はすぐ、彼の虚に付け込んで、お嬢さんを手に入れるために、Kを出し抜くことを思いついたのです。(p238)
 まだ人類を疑わなかったはずの<先生>は、このとき幼馴染みのKの前に横たわる恋のゆく手を塞ごうと決心した。「鈍物」であるKの恋が、高尚な愛の理論家である<先生>の恋より強いのを恐れ、<先生>は自分の財産を掠め取った叔父のような利己心に囚われてしまった。猜疑心の前に、愛の理論はなんの役にも立たなかった。
 「その日のうちに、私は奥さんにお嬢さんをくださいと言いました。男のようにはきはきしたところのある奥さんは殆ど二つ返事でした。私はそのあと長い散歩に出ましたが、頭に浮かぶのは今頃は奥さんがお嬢さんに話をしているころだとか、そんなことばかりでした。
 「Kに対する私の良心が復活したのは、宅に帰っていつものごとくKの部屋を抜けようとしたときでした。私はその刹那に、彼の前に手を突いて、謝りたくなったのです。もし二人広野の真ん中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいました。声を出しての謝罪はなりませんでした。(p247-51)
 「要するに私は正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿者でした。もしくは狡猾な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。
 「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは少しも以前と変わった様子を見せませんでした。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すると私は考えました。「俺は策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが胸に渦巻いて起こりました。そしてその晩Kは自殺してしまったのです。(p253-5)
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 「私はかつてのお嬢さん、いまの妻の望み通り二人連れ立って雑司が谷へ行きました。妻は新しいKの墓へ線香と花を立て、合掌しました。何も知らない妻は、私と一緒になった顛末を述べて、Kに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すばかりでした。
 「叔父に欺かれた当時の私は、他人の頼みにならないことはつくづくと感じていましたが、自分はまだ確かな気がしていました。それがみごとにKとの一事のために破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識したとき、私は急にふらふらしました。他人に愛想を尽かした私は、自分にも愛想をつかして動けなくなってしまったのです。(p263-6)
 お嬢さんをどうしても手に入れたい<先生>は、卑怯な手を使ってKの女に対する思いを断ち切らせ、自分はお嬢さんと結婚する。<先生>は、自分の下種さ加減に絶望して、<語り手>に長大な遺書を書く・・・・・・。
 『こころ』のストーリーは単純である。三角関係の細部の描き方などは読み手を引きずるのに充分な力を持っている。が、それは認めるとしても、『こころ』に表出される漱石の「腹の底から真面目な」倫理観は、あまりといえばあまりである。「K」と「先生」の自殺は、当時にあってもあっさりしすぎていたのではないか。
 執筆の時代背景には明治天皇の大葬、それに続く乃木希典の殉死がある。近代にとって殉死は、「世界を一ミリも動かさない」愚かな自殺に過ぎないが、前近代人であった乃木希典にとっては「天の命」だったろう。漱石は、明治天皇を個人的に敬愛していたことで有名だが、漱石は「腹の底から真面目な殉死」を描くことで、読者に「明治が終わった」ことを刻みたいゆえに、この少々無理なストーリーを作ったのだろうか。『こころ』は「明治が終わったことの意味」を優先させた漱石イデオロギー小説なのかも知れない。
 ちなみに、この作品は岩波書店が出版社として初めて刊行した本らしい。以来ほぼ百年。わたしたちにとって「明治が終わったこと」はほとんど意味をもたないから、二人の自殺に拍子抜けするのだ。