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木村資生(もとお) 「生物進化を考える」(岩波新書)

 最初の数章はともかく、かんどころの集団遺伝学や進化中立説になると統計学の数式がたくさん出てきて、とても手に負えなかった。よく理解できたのは最終章の「進化遺伝学的世界観」だけ。
 p270-2
 血友病とか白子の遺伝子突然変異率は、一遺伝子座あたり一○万分の三くらいである。これらの遺伝子突然変異や染色体異常は、個体の生存にとって一般に不利であるため、過去の長い人類進化の過程では、自然淘汰による除去と突然変異による出生とが釣り合う状態で、一○万分の三くらいという低い頻度に保たれてきた。
 しかし医学の進歩によってこれら有害遺伝子による異常は、少しずつ治癒されるようになっている。たとえば乳児の知能発達に重大な障害をもたらすフェニルケトン尿症は、出生直後にこの異常が検出されれば、フェニルアラニンを制限した食事を与えることで、出生児の知能を正常に発達させることができるようになっている。
 このことはもちろん人道的には喜ばしいことなのだが、遺伝学的には大きな問題を含んでいる。有害遺伝子が、治癒された子供を通じて次代に伝えられるからである。長期的に見れば治療法が進めば進むほど、フェニルケトン尿症の遺伝子保有者が増えていくという逆説的事態が生じる。
 何百年も先の長期的な話になるかもしれないが、先進治療で当人の発症は防げているが有害遺伝子保有者であることには変わりない人たちが増加し、適当な結婚の組合わせ自体が不可能になる・・・・、ということもありえないことではない。
 多くの議論があることは承知しているが、現実的に有効なのは、平均より多くの有害遺伝子を持った人が、何らかの形で子供の数を制限するか、あるいは有害遺伝子を持っていることが分かっている受精卵を発育の初期に除去するか、この二つの方法しかないだろう。特に染色体異常を含む受精卵を発育させないのは、その個体自身にとっても社会全体にとっても、好ましいことと思われる。
 有害遺伝子の保有者は受精卵の細胞核中に書かれた遺伝命令文に誤りがあるのだから、その誤りを知りながら発育させることは次世代にも誤りをわざと繋ぐことになる。究極的には人類の退化をひきおこすだろう。優性の問題は、人の命に優劣はないとか、一人の命は地球より重いとか、そういった お手軽「ヒューマニズム」 とは審級を異にする問題である。