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マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・上)2/3

 ヤコブの時代、妻を妹と偽って王に献上することは「悪」ではなかった
 p126−7
 この時代の家畜飼育部族は、ベドゥインにおいて典型的であるように、非常に好戦的だった。伝承によれば、ベドゥインのカリスマによって召集された軍は二回にわたって選別される。まず、臆病者は家に帰らされる。次にのどの渇きのために犬のように水を飲んだものもすべて除かれる。「遊牧者の理想」である勇士の体面を忘れたからである。
 p131
 アブラハムは、ヘブロンなどの都市では、政治的権利のない寄留者であった(創世記十四章)。創世記が編集される時代には、アブラハムヤコブのような小家畜飼育者の大半は、ベドゥインの略奪にさらされ、すでにこうした状況に陥っていた。彼ら小家畜飼育者の族長たちはすこぶる富裕な人々と見られているが、アブラハムヤコブの時代になると、そうではなかった。
 p139-42
 族長聖者伝説は族長たちをおだやかな平和主義者として扱っている。しかし族長がその愛する美しい妻を妹と偽って彼の王に引き渡すとき、彼は妻の名誉を自分で守ろうとはしなかった。神が彼の王に災厄を送るのを願い、聞き届けられるの待つだけであった。
 そしてこの族長の物語の作者も、物語を聞くものも、族長が王に自分の妻を渡すことを当然と感じていた。そういう時代であった。
 族長らの対人関係の倫理はいかがわしい。ヤコブは妻にしようと思っている女の値段を値切ったりしている。兄にわずかの食物を与えて兄の家督権を奪おうとする。しかもそののちこの兄と会う段になると不安におののき、泣き崩れんばかりの祈りを神にささげる。・・・これらのことは、口碑を残した人たちにとっては少しも気にならぬことなのだった。
 こうしたことは、ほかならぬ賤民存在としてのユダヤ倫理の特徴である。そしてこの、氏族の内と外でまったく逆のモラルを使い分ける二重道徳性を隠そうともしない倫理感は、ユダヤ人が客人民族としてヨーロッパ中に散らされたとき、その地の人々のユダヤ人評価に深甚な影響を及ぼした。それは、自民族の伝承を栄光化しているこの社会層の内面的の全体像を、世界中に明示することになった。
 p163
 出エジプト記の「契約の書」には、「貧しい同胞に金を貸す場合には彼に損害をこうむらせたり利子を取ってはならない」との禁止命令がある。しかしこれは実際の法体系に由来したものではなく、一つの宗教的な命令にすぎなかった。ユダヤ人の社会生活の中で、利子搾取について対内道徳と対外道徳を区別することは、なんら禁止されていなかった。
 p176
 申命記に、債務によって零落した族長たちに「あなたの中に寄留する商人たちはますます高くなり、あなたはますます低くなるであろう」と言っているのは、 その本当の意味は次のようなことである。「ユダヤ人のみはエルサレムに住んで世界の都市貴族となるであろう。が、他の諸民族は都市の門外にあって政治的に隷属する債務農民状況に置かれるであろう。」 中世・近代のユダヤ人高利貸しの気質はこの時代に生まれたのである。
 こんにちでもパレスチナ穀物商人はアラビア農民の過酷な搾取主体であり、ユダヤ生まれのアメリカ石油商人はアラブ原油の過酷な搾取主体である。
 p207−8
 ベドゥインや家畜飼育者の生活諸条件はいちじるしく不安定であるが、この不安定性ときわだった対照をなすのは、これらの定住をしない諸社会層の間に見られる宗教的もしくは教団祭儀的団体の非常な安定性である。
 このような宗教的団体こそは、長期の政治的ならびに軍事的諸組織を担いうる基盤としてはもっとも適してたものだった。長期に安定した組織の最大実例は、いうまでもなく当時から一千年後のムスリムであり、その騎士教団である。