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河合隼雄 『生と死の接点』(岩波現代文庫)1/2

 p54−5
 心理学でいうライフサイクル、特に成人の発達心理学ということが一般の関心を引くようになったのは、平均寿命が長くなったのと、多くの人が物質的な満足感をそれなりに味わうことが容易になったことが主な理由になっている。
 しかしこのことは、現在のわが国の女性の場合、複雑な形をとることが多い。というのは、わが国の往時の女性観に従うと、女性はもっぱら服従の姿勢をとって生きてゆくことを善とされてきたのが、最近になって欧米文化の影響を受け、西洋的な自我を確立しようとする動きが必然的に生じているからである。多くの中年あるいは老年の女性が、欧米においては人生の前半の課題として考えられている経済的自立を中心とする「自己実現」をにわかにやりたくなってきたり、やろうと努力するようになった。
 私の知人でも、会社を定年退職したとたん、奥さんに「これからは友達と週に2回、ずっとできなかった合唱サークルとお年寄り施設の慰問ボランティアに出かけますからね。旅行もたぶん友達と出かけますから、ご飯は自分で作ってくださいね」といわれてびっくりしている人が何人かいる。
 自己実現という言葉はしばしば単純に自分のやりたいことをする、自分の潜在力を伸ばすことであるとされ、プラスのイメージのみを抱かれることが多いようである。確かに「自己実現」の表の側面はそうであるに違いないが、他方、その過程において(たとえば会社に上司との感情的な対立、過酷な売り上げノルマ達成の要求)など)どれほどネガティブな内容と対決しなくてはならないかについてはあまり言及されることがない。また、自己実現ということが、(多くのサークルに入ったりや経済的利益を得たりなど)日常的な意味での価値とはほとんど無関係なものであることが、まったく閑却されている。
 自己実現という言葉のイメージだけにひかれた結果、無意識的には自分の今後の半生の重要性に漠然と気づき、何か物足りないと感じつつ、それがなにを意味するか分からないまま、わかりやすい日常的な価値の追求にますます力を注ぎ、逆に不安を増大させている人もいる。
 「経済的自立を中心とする自己実現にまい進するフェミニストは、これまで男性が“独占”してきた名誉・権力・名声を“奪還”しようとしているにすぎないのであって、その基本哲学は彼女たちが忌み嫌う男尊主義者の哲学と全く同じものである」と皮肉る(内田樹のような)論者もたくさんいるが、今世紀に入ってのフェミニズムの急激な退潮は、彼女たちの主張があまりに一面的であったことの証明だと思われる。
 わたしたちの実際の生活の中での物質的な満足感は、少なくともフェミニズム立ち上がりのころに比べれば、今世紀に入って急速に全国民のものになった。国民間の所得格差は、経済のグローバル化によって大きくなったが、それは上層と下層の格差であり、男性と女性の格差ではなくなった。名誉・権力・名声は上層が独占しているのであり、男性が独占しているのでないことは、派遣労働の女性なら誰でも知っていることである。フェミニストたちの過激な主張の論旨が、国家経済の成長というあっけらかんとした事実によって、曖昧模糊としたものになってしまったのだ。
 そのように彼女たちは、敵は男ではないことに気づき始めたのだが、自己実現ということが、日常的な意味で価値あるとされることとはほとんど無関係なものであることには、まったく気づいていない。著者のいうとおり、40代以降の女性たちは、(男もまったく同じだが)無意識的には自分の今後の半生の重要性に漠然と気づき、何か物足りないと感じつつ、それがなにを意味するか分からないので逆に不安を増大させているのである。

 p14−5
 ライフサイクルという考え方は、(フロイトが若干誤解されて捉えられたように)成人の問題を直線的に幼児期のような過去のできごとに結び付け、原因―結果の連鎖の上で見てゆこうとする態度に変更をもたらすものである。つまり成人の神経症をすべて幼児期の体験へと還元してしまうのでなく、それは彼の人生後半への準備として生じているのかもしれないと、未来につながる事象としても見ていこうというものである。
 たとえばある神経症患者が現在の状況を把握することは、その想起自体が彼のこれからの生活設計に大きな意味を持つのではないか。その自分による想起がなければ、彼のこれからは治療者主体の生活であり、さまざまな襞が複雑に絡み合った彼自身の前半生は、彼自身にとって何ものでもなくなってしまう。
 神経症の事例研究にあたっては、直線的な時間体験の中で、過去の事象が原因として現在の事象が結果しているという単純な理解をしても、あまり実りはない。
 (スタンフォード大学のラマチャンドラン教授もいうとおり、)「客観科学」を信奉する人たちが患者のトータルな人間存在を切片化し、それを大量に集めて統計処理を行ったとしても有意義な研究成果は何も生まれない。
治療者が神経症患者が自分の複雑な経験が織り込まれたライフサイクルを想起するのを手助けし、一つの過去が今の事象にどうつながっているのかを自分で考えてもらう・・・・・・。あくまで「個」を追究し、それを深める普遍にいたるという方法こそすこぶる現代的意義を持つと思われる。