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養老孟司 『講演集 手入れという思想』(新潮文庫)1/3

 安全が、ただいまの学生の行動原則らしい
 p62−5
 東大をやめてから、いろいろな大学の大学院で講義をしています。オウム事件以来若い人たちのものの考え方に興味をもちまして、そばまで行っていろいろ学生に聞くわけです。大学院だと講座の定員は3,40人くらいが多いですからそういうことができます。
 君たちが何かするときに、最初に考える原則があるだろう。清く正しく美しくとか、カッコいいことがしたいとか、人に迷惑をかけないようにしようとか、カネにならないことはしないとか、何でもいいんですが、行動の原則があるだろうと。そのとき私は「正しいことをする、本当のことをする」という答えを一応期待して、聞いていたんです。
 そうしたら、広島の大学院の学生が即座に答えたんですね。普通はそういうことを学生にいきなり聞いてもあまり返事をしないんですが、彼はあごをあげて「それは安全です」と答えました。びっくりしましたね。
 今の子供は大学院くらいの人でも自分の行動原則ははっきり安全だと言い切ります。変なたとえですがケネディ家の人たちはまったく賛成しないでしょうね。イスラエルの大学院生も、中国の大学院生も、ブラジル、イランの大学院生も。G7かG8か知りませんが、どこの国の大学院生が安全が行動原則だと答えるでしょうか?)
 その少し前、わたしの解剖学教室に来て、「浅原彰晃があす水中で1時間呼吸を止める実験をするから立ち会ってくれ」と言った学生がいましたが、この広島の学生はオウムの学生ほどではありませんが、正常な社会に生きているのだろうかと少し心配になります。

 そういう若い人たちは私が長年飼っていましたネズミによく似ています。籠の中で飼って、餌と水を十分に与えます。すると、そうやって育ったネズミはシッポをつまんでもまったく反抗しません。もともとは野生のネズミだったのですが、家畜ネズミになってしまったわけです。ところが何かの拍子に籠からネズミが逃げ出すことがまれに起きます。逃げ出したネズミは一週間もたつともはやつかまらないネズミになります。ものすごく敏捷になって完全に野生化します。
 その変化を見ていると、人間もおそらく同じだろうと思います。つまり水と餌を十分に与えられて安全第一で過ごしてきた動物という点では、現在の若い人たちはラットかマウスになっている。人間は自分自身を家畜化する動物なのですね。この三年、安全安心は、大臣やマスメディアが家畜化した日本社会についてしゃべるときの枕ことばに成り下ったのですね。自分自身を家畜化した若い人たちはイスラエル、中国や、ブラジル、イランや、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツの安全安心ではない大学で、かの地の学生のようにリスキーな勉強を続けられるんでしょうか。