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フィリップ・ボール 『かたち』(早川書房)2/3

 生命現象とは「化学物質の絶え間ない離散集合」のことである。
 p159
 当然だが、生命はすべて究極的には分子の相互作用から生まれている。その意味で、化学作用は生物発生の根っこにあるものだ。しかし、ネオダーウィニズム――生物のミクロとマクロが混ざり合った進化論は、この(自然発生的な化学的パターン形成としての)意味での生物発生を持ちださない。
 かなり最近まで、分子生物学は遺伝子に完璧に支配された体系として描かれていた。生物はの発生は、はなから、遺伝子によって独裁的に支配されているというのだ。この理解では、ゲノムとは、ひとつひとつの細胞と膜がどこに置かれるべきかを指示し、そこに置く分子機械の組み立て指示をすべて含んでいる説明書だと考えればいいと、つい思いたくなる。ついこの間まで、新聞の文化・科学面では「生命とは、自己保存のみを目的とする利己的な遺伝子の乗り物である」という論をよく見かけたものだ。
 p173−4
 だがしかしこの考え方は、生体内での化学物質の絶え間ない離散集合という側面を捕えていない。少し極端にいえば、私たち一人ひとりは根本的には「CSTR(連続攪拌槽反応器)」である。私たちの命を支えているのは私たちの遺伝子ではない。私たちがたまげるほどの複雑性を備えたCSTRだからだ。体内「攪拌槽」にたえず素材を供給され、糞尿、二酸化炭素などの廃棄物をどっと流し去ってもらわなかったらどうすることもできないのだ。
 CSTRをとおして物質が流れつづけることで、体内の化学反応系が恐ろしい平衡状態に行き着かずに済んでいる。読者はこれまで一度も本当の平衡状態を経験したことはないはずだ。平衡状態とは死のことである。そこでは何も起こらない。死体はやがて全面的に均質になり、宇宙の中に溶けていく。
 地球外生命体を探査するなら、その星に道路の跡などを探す必要はない。火星の生き物を探す最善のやり方は、土をふるいにかけて虫を探すことではなく、化学的な環境を分析して、それが平衡状態にない目印を探すことである。
 p211
 多細胞の臓器や有機体はどれもそうだが、心臓の働きはすべての細胞の共同作業である。一つの細胞群の振動によって化学波が生まれ、その化学波がとなりの細胞群に興奮性媒質として作用する。化学波によって振動の同期を押し付けるということであり、この同期の一方向からの押し付けによって心臓全体のシンクロが生まれる。