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内田樹・鷲田清一 『大人のいない国』(プレジデント社)

 子供が統治できる社会
 鷲田  政治家が幼稚になったとか、経営者が「お詫び記者会見」に出てきたときの応対が幼稚だとか言いますよね。でも、皮肉に言えば、そんな人でも政治や経済を担うことができるというのは、ずいぶん成熟した社会だとも言えるんですよね。
 内田  欧米にもアジアにも、こんな社会はないです。日本みたいに、中身が子供のままというような人たちが権力を持ったり、情報を集中管理していたら、普通はつぶれます。そういう意味では、日本は興味深い社会です。
 鷲田  いわゆるクレーマーは、幼児性とつながりますね。クレーマーは、堂々と自己主張して一見アクティブに見えるけど、ほんとうはすごく受動的。だって責任は取らないわけでしょ。自分はいつも、問題が起きているシステムの外側にいて、「ひどいじゃないか、なんとかしろ」と怒鳴ってる。
 内田  子供は、システムの不調には「張本人」がいると思いたがる。すべてをコントロールしている責任者がいるはずだし、いて欲しい。子供たちの「無垢性」を保証してくれるのは、何よりもすべての裏側にいる「責任者」なんですから。責任者が名指しできて、責任者の地位が高いほど、「子供=被害者」の「無垢性」はいよいよ純白になるわけです。ちょうど何年か前のJR尼崎の大事故みたいに。
 でも、システムの不調なんですから、被害者=利用者だけが外側にいるわけではない。被害者=利用者の集合も「内側」に含んだシステムの不調なんですから。そこのところを少し議論をすれば過密ダイヤを組ませたのは誰なんだ、という呪詛を自分に向けることになるという、とても簡単なことがわからない。
 今日(12年12月7日)の朝日新聞に「団塊世代は、若年層考え投票を」という36歳女性の投書が載っていました。「戦後日本の繁栄を築いてきたのはたしかにあなたたち団塊世代だが、そのあなたたちのせいで今の社会は大変なことになっている。どうか、今回の選挙は、あなたたちの子供世代である私たちが幸福になれるように投票して欲しい」という内容でした。
 これなどは、「自分たちは悪いことは何もしていない。団塊世代の指示のままにやってきた。だから大変なことになっている今の状態の責任はすべて団塊世代にある」という、「自分は不調に陥っているシステムの外側にいた無垢の民である」という論法の典型です。
 この女性は36歳ですから、10歳から16歳まで日本経済はバブル期にありました。統計上は、その6、7年間、この女性は両親とともに「繁栄する日本経済」のなかで、「幸福な少女時代」を過ごしたわけです。それが世紀末になって、急に日本全体がしぼんでしまった。バブル崩壊やらリーマンショックやら、この間の津波原発事故やらで「社会が大変なことに」なってしまった。こうしたことの責任はすべて両親の世代にあるという。
 いくらなんでも被害者意識が強すぎるのではないでしょうか。両親のおかげである少女時代の幸福なんて忘れたと言っているようなものですから。
 この女性は、社会のシステムとは、誰かが社会のどこか彼女の分からないところで作り上げ、彼女たちはそれを一方的に「与えられる」ものだと思っている。自分が社会という大集合の内側にいて、その大集合の動きは、自分たちのごく小さな動きの膨大な積和でしかありえない、ということを理解しようとしない。
 責任は自分の親世代にあるのだそうですが、当の親世代は戦後の日本社会を何も自分たちで作ったのではありません。戦後の日本社会の仕組み、制度のほとんどは戦前の「頑固な祖父母世代」のそれを引き継いで、その上に多少の化粧直しをほどこし、腐った柱を抜いて新しいのを一、二本立てただけみたいなものです。
 いまの天皇制、憲法九条、農地解放などは、全部、戦前の「頑固な祖父母世代」が作ったものです。団塊世代の仕事は、一生懸命それを守ってきただけです。祖父母世代は、それこそ近代的な政治インフラ、社会のセーフティネットなどをほとんど持たなかったですから、それを外国の真似をしながらでも作り上げた膂力は大したものであったと思います。
 彼らに比べて団塊世代は、祖父母世代の精神構造の根本にあった「付和雷同・大勢翼賛主義」を明らかにしたことが唯一の仕事なのではないでしょうか。もちろん海外との経済交流の中で大きく発展を遂げ、数々の科学技術が成果を生みました。さまざまなカルチャー・サブカルチャーを生み出し、日本は世界でもまれな高度均質社会となって、バブルという資本主義の果実の味も一瞬楽しみました。そしてその二十年後、若い世代の多数が「どうも社会システムが不調に陥っているようだ」、「みんな不安だと言っている」、「ニュースを見ても明るいことが少なすぎる」と言いまくる時代がやってきてしまいました。
 こうした若い世代の人々は、ほとんどが「右を見ても、左をみても、みんな言ってる」ことを聞いて、それをそのまま自分の意見としてネットに書き込んだり、新聞に投書したりしています。みなさんあちこちきょろきょろと右顧左眄して落ち着きがないわけです。この「右顧左眄症候群」は、祖父母世代の精神構造の「付和雷同・大勢翼賛主義」と、自分ひとりの原則を持たないということにおいてまったく同じですから、団塊世代としてはとても気味が悪い。