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カレル・チャペック『ロボット』(岩波文庫)

 ヨーロッパにはユダヤ教のラビが魔術によって作る「ゴーレム」という「人造人間」の言い伝えがある。本書はそのことを書いた金森修『ゴーレムの生命論』に教えられて知ったもの。著者カレル・チャペックチェコ出身で『兵士シュヴェイクの冒険』を書いたヤロスラフ・ハシェクと同じである。『兵士シュヴェイクの冒険』は、オーストリアハプスブルク帝国軍の腐敗と面従腹背を生活信条とする愚かな民衆の両方を笑い飛ばした大傑作だ。
 『ロボット』は一九二○年頃の初版で、ロボットという言葉はこの戯曲によって世界中に広まったとされている。錬金術という「ダークサイドの技術伝統」がまだ色濃く残っていた中央ヨーロッパで、頭のおかしな博士や資本家たちが、「人間を過酷な労働から解放するために」ヒューマノイド形ロボットを作成し、それがあまりによくできているため全世界に売れまくるのだが、やがてそのロボットに知能が備わるようになり、団結して人類抹殺を始める。・・・・・・・戯曲自体の展開としてはそのような話なのだが、役者が叫んでいる「知恵と欲を働かせすぎた人類の悲劇」みたいなものは読者の心の中にあまり染み入ってこない。
 訳者はあとがきで『ロボット』は「文明への恐怖と警告に満ちた」予言的悲劇と解説しているが、それはいまどきいくらなんでも大げさすぎる。「時代を逃れられない科学なんてそんなものさ」ぐらいの単純な寓意喜劇として読むほうがはるかに分かりやすい。
 SF作品が百年後も読まれるに足るものであるには、<サイエンス>の部分に重心が置かれると、作品としては致命的な欠陥を負う。生理学、生物学などはこの百年でもっとも進歩の著しかったサイエンスであり、「IQの高いヒューマノイドロボットが団結して人類を抹殺し始める」と言うような話は、現代では中学生すら見向きもしないだろう。いまこの分野でリアリティを持たせようと思ったら、「どこかでヒト・クローンが大量製造されつつある」たぐいの話だけである。
 本書の中で人類は勝ち誇ったロボットたちに抹殺されようとしていて、作者は全世界を制覇しつつある機械文明が「人間の魂」を飲み込もうとしているとして、村のカトリック聖職者のような抗議の声を上げる。人間の中で最後まで残ったアルクビストという建築家の叫びは、百年前にどこかの教会で叫ぶように読まれた旧約聖書の一節を思わせる。
 「私は科学を弾劾する!技術を弾劾する!経営者を!自分を!自分たち全員を!われわれ、われわれに罪がある。自分たちの誇大妄想のために、誰かの利益のために、進歩のために、いったいどんな偉大なことのためにわれわれは人類を滅ぼしたのだろうか!その偉大さのために破滅するがよい!人間の骨でできたこんなにも巨大な墳墓はいかなるジンギスカンといえども、建ててやしない!」