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リチャード・ドーキンス 『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)2/2

 自然淘汰説は結果論である。 ヒトのこれからについて自然淘汰説は何も言えない。 そのことをドーキンスはきちんと認めながら、次のようなとても興味深いことをこの本の白眉である同じ第13章で書いている。自己複製をするただのタンパク粒子―利己的な遺伝子が、自分が宿る個体だけでなく世界そのものとシンクロナイズしているということ、極微の遺伝子がとてつもなく「長い腕(リーチ)」を持っているという話である。(長い腕というこの章のタイトルは、読んだことのある人ならだれでも村上春樹1Q84』を思い出すだろう。いつも<世界の果て>のことを書こうとしている村上春樹はたしかにこの本からヒントを得ている。)
 p371‐3
 トビケラという、どちらかといえば特徴のない淡褐色の昆虫がいる。川の上を不器用に飛ぶため、たいていの人はなかなか気がつかない。ただそれは成虫のときで、それまでには川の底を歩き回る幼虫としてのかなり長い前世がある。
 このトビゲラの幼虫は特徴がないどころか、彼らは地球上で最も驚くべき動物の一つである。自分自身で作り出した接着物質を用いて、川の底で拾った材料から筒状の巣を巧みにつくる。棒切れや枯葉を使う種もいるが、最も目を見張るのはその土地の石でつくる種がいることだ。そのトビゲラは石を注意深く選び、壁の当面のすきまには大きすぎたり小さすぎたりする石を取り除き、ぴったりはまるようになるまで、それぞれの石を回しさえする。
 ・・・・・・自然淘汰は、保有者に効果的な巣をつくるように仕向ける祖先のトビゲラの遺伝子を選択した。(効果的な巣を作れない遺伝子をもったトビゲラは生き残れなかった。だから存在していない。)これらの遺伝子は、おそらく神経系の発生に影響を及ぼすことによって行動に作用した。ということは、遺伝学者は巣の形状「のための」遺伝子を、たとえば脚の形状「のための」遺伝子が存在するというのと厳密に同じ意味で、認めなければならないということだ。
 一部の遺伝学者は巣の形状「のための」遺伝子というのを奇妙な考えだと思うかもしれないが、そう思う学者は石の巣をつくるのに適したトビゲラの関節の構造の「のための」遺伝子について語ることにも反対しなければならない。さらには、遺伝学の論理的首尾一貫のために、目の色「のための」遺伝子や、豆のしわ「のための」遺伝子についても、(つまりはメンデルの法則に)反対しなければならなくなる。

 ・・・・・私の言うことはとんでもない考え方だとする人がいるかもしれない。しかし遺伝学者は、神経系に影響を及ぼす遺伝子について語るとき、それが世界の中でいったい何を意味しうるのかを慎重に考えなければならないのだ。遺伝子が現実に「直接」の影響を及ぼすことができるのは、タンパク質合成だけである。いっぽう、神経系に及ぼす遺伝子の影響は、ついでにいえば眼の色や豆のしわに及ぼす影響も、つねに「間接」的なものである。
 そうだからといって、トビゲラの巣の形状「のための」遺伝子という考えが荒唐無稽だとどうして結論づけられよう?トビゲラの関節の構造の「のための」遺伝子はトビゲラの巣の構造と確かに関連しており、トビゲラの巣の構造は選ばれる石の固さと大きさにつながっており、選ばれる石の固さと大きさは石に付着するコケの量につながっており、石に付着するコケの量はそれを食べるアユの成長に・・・・・・、以下無限に、その長い腕(リーチ)は多分世界の先まで届いているのだ。

 遺伝子が世界に及ぼすとてもとても長い腕は、もちろん最近、たとえば一億年前から「急に」伸びてきたのではないだろう。ドーキンスは本書で何も言っているわけではないが、トビゲラの巣の形状「のための」遺伝子が、めぐりめぐって川底のアユの成長に影響しているという「間接の淘汰圧」こそ、あるいは遺伝子の長い腕の素顔ではなかろうか。279−80ページにあるミトコンドリアの話には、原始細胞の成り立ちが決して一本道ではなかったことを述べていて、その後の多細胞生物の進化が環境との相互干渉なくしては成り立たなかっただろうことを示唆している。
 p279-80
 われわれの細胞一つ一つの中には、ミトコンドリアと呼ばれる小さな粒がたくさん入っている。ミトコンドリアは、われわれが必要とするエネルギーのほとんどを生産する化学工場である。もしミトコンドリアを失えばわれわれは即死してしまうに違いない。
 最近、このミトコンドリアは進化のずっと初期のころにわれわれの祖先型の細胞と連合した共生バクテリアだったことが分かってきた。ミトコンドリアと同様、われわれの細胞中にある他の微小な構造物についても、それらは過去には共生バクテリアだったことがほぼ証明されている。われわれの遺伝子の一つ一つが共生単位体なのであり、私たちは共生的な遺伝子たちの巨大なコロニーなのだ。
 多細胞の有性生殖生物においては、生殖細胞減数分裂の際、精子あるいは卵子の染色体の一部がバラバラになるが、受精後すぐに相手の遺伝子の一部と「部品交換」を行って、もとの乱れのない染色体に再構成される。この精子卵子が部品交換することを「交叉」というが、この「交叉」現象こそ、原子細胞が共生バクテリアを自身の内に取り入れてきたことの再現なのではなかろうか。
 しかし、この考え方をひっくり返してみると、私たちの周囲にいる何千何万種というウィルスは私たちの身体のような「遺伝子コロニー」から離脱した遺伝子なのかもしれないということになる。ウィルスは、純粋なDNAまたはこれに似た自己複製分子RNAでできており、周囲にタンパク質の衣をまとっている。しかも彼らは例外なく寄生性の存在である。このような見解によれば、ウィルスはコロニーから逃亡した「反逆」遺伝子から進化したもので、いまや精子卵子といった通常の「乗り物」に乗せられなくても、生物の身体から身体へ直接空中を旅することのできる身の上に「進化した」というわけである。