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福岡伸一 『福岡伸一、西田哲学を読む』(明石書房)

 福岡伸一が、自身の「動的平衡」論をメインモチーフにして、池田善昭という西田幾多郎研究者と「生命とは何か」を語り合った対談本。20歳以上も年長である池田氏に敬意を表して、福岡が池田氏に西田哲学の生命論を教えてもらい、そこから動的平衡論が西田哲学に通底していることを学んで、今後の研究を力づけてもらうという作り方の本になっている。

p171

 福岡 「絶対現在」という述語は、西田哲学の分かりにくい表現の最たるものの一つですが、私はそれを「移ろいゆく動的平衡が一回限り作っている一状態(細胞内状態の一瞬の「いま」)」であると解釈したいと思います。
 つまり、動的平衡というのは、絶え間なく移りゆきながら、絶えず自分を更新しているといいますか、合成と分解を繰り返しながらエントロピー増大の法則に対抗している仕組みであるわけなんですが、その細胞内状態というのは、絶えず移り変わっているわけですので、その瞬間を見ればそれは一回限りの平衡状態なわけです。

p197

 福岡 何がすべての生命に共通な現象かと問われると、バクテリアから植物、高等哺乳類を問わず、全生物は細胞膜の内側でATP(アデノシン3リン酸)を分断し、燃え殻のADP(アデノシン2リン酸)を細胞膜の外側に排出しています。すると細胞膜の外側ではそのADPにたちまちリンが一つ加わり、ATPが合成されてふたたび細胞膜の内側に供給され、・・・・・・同じ反応がその細胞や組織が死ぬまで続けられます。

 池田 すなわち、生命は容赦なくふりかかるエントロピー増大の法則――たとえば、生命体を構成している高分子は分断され、タンパク質は損傷を受けつつ変成するわけですが、そうした乱雑さの増大する流れ――に抗して、なおも秩序を保持し維持し続ける耐久性とそれを可能にする構造を持っているんですね。
 僕はこれらのことを福岡さんの生命科学から教わったんですが、その具体的な生命の姿は、生命体を構成する細胞の内部にではなく、細胞の膜上にこそ見ることができるというのは驚くべきことです。

 福岡 ええ。いわゆる「あいだ」にいのちがあるということですね。

 池田 生命の営みとは、生命体の「内界」と環境である「外界」を区切るその両者の「あいだ」にある。すなわち、両者を区切る細胞膜の上で、互いに相反する合成作用と分解作用が同時に行われているということですね。

 福岡 そもそも生命は、何もしなければ、エントロピーがどんどん増加して、タンパク質などの超高分子ポリマーは見る間に低分子ポリマーに分解され、すべてが平準化した何の起伏もない世界に戻って行ってしまいますからね。
 でも、エントロピー増大の法則にまったく反することは生命にもできないわけです。だから生命が何をしているかというと、膜の内側であえて自分を分断することでエネルギーを放出し、膜の外側で再生した合成物をとりいれて自分を再び活性化している。つまり膜上の合成物の再活性化の瞬間だけ、エントロピー増大の法則を追い越すことで時間をかせぎ、生命の宿命を「先回り」しているといったらいいでしょうか。
 あえて自分を壊して再びつくるのを繰り返すことで、生命が死に向かってどんどん坂を下っていくのを、その再活性化の瞬間瞬間にだけ少しずつ登り返しながら、でも全体としては、ずるずるとその坂を下っていく、というのが生命だと思います。

 p323 生命の有限性の理由

 福岡 ヒトを含む多くの真核細胞では、ゲノムDNAは両側に断端を有する直線構造をとっています。この断端はテロメアと呼ばれます。DNAが複製されるとき、二重らせん構造がほどかれ、一本鎖となったDNAは、その端に相補的に結合するプライマーという短いRNAがきっかけとなって複製が開始される。これがそれぞれの一本鎖に対して起きるので、ゲノムDNAは全体として倍加コピーされ、それぞれは細胞分裂によって生じた新しい娘細胞に分配されます。
 複製が完了すると、複製の呼び水として使用されたプライマーは取り外され分解されます。するとその部分に位置していた一本鎖DNAの断端が露出することになる。二重らせん構造をとらない、断端の一本鎖DNAは不安定な構造として、すみやかに分解されてしまう。その結果、テロメアに位置する断端のわずかな部分のDNAが失われることになりますが、この部分には、通常、重要な遺伝情報は書かれていないので、多少の消失があっても問題はありません。

 しかし複製がくり返されると、ゲノムDNAが両端から少しずつ短くなっていくことになります。短縮が遺伝情報に拘わらない無意味な配列で起こっているうちはいいとしても、短縮がくり返されるとやがては重要部分に達し、それを損なうことになります。これがテロメアの逐次短縮と呼ばれる現象で、細胞の分裂回数に限界があることや、細胞の寿命の有限性の起源と考えられています。