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トーマス・マン 『ブッデンブローグ家の人々』(岩波文庫)

 トーマス・マンが最初に書いた長編小説。「ある家族の没落」という副題が付いている。18世紀から19世紀にかけて、名門実業家が興隆しその頂点で没落をはじめる典型例が重厚に悲劇的に描かれている。20世紀の初頭に初版が発行されたが、本国ドイツはもちろんイギリスでもフランスでも大変な売れ行きを見せたらしい。

 北ドイツの有力な、今でいう商社を経営するブッデンブローグ家は、創業から3代目で下り坂に入るのだが、商取引上の失策が原因になるのではない。3代目経営者のトーマスの人的資質、カネとプライドに馴れきって生活力の全くない弟妹達、本家を嫉み、かつ食い物にしようとする親戚との関係、といった創業家内部のゴタゴタがついには大きな船を難破させてしまう。

 男を見る目がないために自身二度も結婚に失敗し、莫大な持参金をフイにしたり、娘の婿が保険金詐欺で逮捕され、ブッデンブローグの家名を大いに辱めたりする家長トーマスの妹トーニが作中人物として光っている。
 トーニのプリンシプル(生活原則)は「貴族的」ということであって、住まいであれ、衣装であれ、食事、友人、婚約者、ホテル、避暑地の選び方であれ、すべては「貴族的」であることが第一優先されねばならない。そしてこのことは、知人・縁者がなくなった場合、死者の化粧の仕方にまで及ぶ。ただしトーニは性悪女ではない。「貴族的」なことに心底憧れているだけの能天気なのだ。

 主人公のトーマスは、ほぼ作者マンその人らしい。まじめで狡猾なところがなく、利益追求に突き進むべき商社経営には向いていない。マン自身15歳のとき「商会を継ぐ自信なし」と告白しているから、自分をそのまま投影したのだろう。マンの母親はラテン系の美人で、客間のベヒシュテインのピアノでショパンを弾き、シューベルトシューマン、リストなどの歌曲を歌い、アンデルセンの童話を小さなマンに毎夜読んでくれる人だったそうだ。この教育がマンを商売の道から外したのだろうか。

 その主人公トーマスが、晩年になって、とは言っても40代後半なのだが、街で一、二を争う商売がようやく傾きはじめる。健康に自信が持てなくなり、自分の限界に気付き始める。そして、読者も驚くのだが、庭でショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を一日中読みふけったりする。その時までは商売一筋で、書架の本は飾りにすぎなかったし、ショーペンハウエルの哲学が商人向きとはとても思えない。案の定、暗く憂鬱な哲学者は、落日を感じ取る有力商社の頭取を見通しのきかない思いに誘っていく。

 下巻p205-6

 トーマスは(ピアノにしか関心を持たない)息子と一家の将来だけを苦悩しているのではなかった。(大学を出ていない)自分はいま死と死後の問題を考えているが、そういった問題については自分の知力が不足であって、手も足も出ないこと、準備がないことを思い知らされるのであった。
 亡き祖父は偏狭な信仰と実際的な商人気質を両立させていたが、母親に引き継がれた熱心な福音主義キリスト教には、孫であるトーマスはついに関心が持てなかった。むしろこういう最初で最後の問題には、今日まで祖父の世間人らしい懐疑と同じ不信心の目を向けていた。
 しかも、祖父のヨハン老人の安易で皮相な懐疑に満足できるには、孫のトーマスは精神がそれなりに複雑であったし、実生活を豊かにする知力にだけは恵まれていた。

 だから永遠とか不滅とかいう問題にも、これまでは(自分で合理的に見える)解答を与えていて、自分は父祖の中に生きてきたように、将来も子孫の中に生き続けるだろうと考えていた。これはトーマスの家族意識、旧家の子弟であるという自尊心、歴史を尊重する敬虔な気持ちにも合致し、日頃の活動、野心、生活態度全体の支えとなり、力となってきた。それがいまとなって、健康が衰え、自分に死の厳しいまなざしが向けられたのを感じると何の役にも立たなくなり、価値のないものになり、一時間も安心な心の平和を与えてくれないことが分かるのだった・・・。

 訳者望月市恵氏が言うように、『ブッデンブローグ家の人々』はヨーロッパにかつては存在した<市民の時代>の白鳥の歌である。トーマスの父と祖父は、あのシュテファン・ツヴァイクが名著『昨日の世界』を手向けて惜しんだ輝かしい市民たちだった。その時代がついこの間まで確かにあったことを肌の感覚として記憶しているからこそ、多くのドイツ、イギリス、フランスの若者たちは出版されたばかりの長大な3巻本に共感したのだろう。

 私が読んだ岩波文庫版は1969年という古い、(あまりいい訳文ではない)第33刷である。時代に制約されて、望月氏は「市民時代の後に続くものが帝国主義であるか、それとも労働者階級の凱歌であるか、それはわからない」と書いている。コンピュータシステムがこれほど平等な、あらゆる価値に優劣をつけない凪いだようなカオス社会をつくろうとは、望月氏は絶対に予想できなかっただろう。