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シュテファン・ツヴァイク 『三人の巨匠』(みすず書房)1/2

 バルザックディケンズドストエフスキーという19世紀の大文豪三人について、その人となりや作品について、それぞれ50~100ページで簡潔にまとめて一冊にしたもの。本としては最後にモンテーニュもおまけとしてついている。

 「評伝のツヴァイク」らしく、短いものでも相手の本質をみごとに描き出しており、この一冊を読むと三人の大作家を読破したような気分にさせてくれる。訳文もよくこなれている。特に最初の『バルザック』訳者はあの『されどわれらが日々-』の柴田翔。作家をやめてからこんなみごとな翻訳仕事もしていたのかと、感慨が深かった。

 

 バルザック

 精神世界のナポレオンたらんとする名誉欲が、 
 800人を超える登場人物を『人間喜劇』という壮大な地下牢に幽閉した。

 p10-11

 バルザックは偉大な世界征服者ナポレオンその人を間近に目撃したことがある。バルザックがまだ少年だったころ、馬上のナポレオンは自らの意志が生み出したところの王侯たち、スペインを贈ったジョゼフ、シチリアを与えたミュラー、エジプト王ルスタン、未来の裏切者ベルナトッドらを引きつれて、夢見がちな少年の前を行進していった。

 一人の少年にとって世界征服者を目撃するとは、とりもなおさず自らもそうなろうと願うことではないだろうか。そしてこの同じ瞬間、ヨーロッパの他の二つの土地に、なお二人の世界征服者が体を休めていた。ケーニヒスベルクには、混乱した世界をただ一つの洞察の中にとらえ得た人カントが、そしてワイマールには詩をもって世界を手にした人ゲーテが。

 p12

 バルザックは全力を挙げてもろもろの現象をかき集め、それをふるいにかけ、非本質的なものは投げ捨て、純粋な生のひな型というべきものだけを選りだそうとした。化学者が無数の化合物の本体をひとつかみの元素に解き明かして見せるように、バルザックはそれらの純粋ではあるがバラバラにされたひな形を、芸術家の灼熱せる手腕をもって一つにまとめ圧縮し、その多様性はそのまま保ちながら、一つの接近可能な体系のなかへもたらそうとした。それが精神世界のナポレオンたらんとする名誉欲の求めるものだった。彼は世界を単純化して支配し、それを『人間喜劇』という壮大な地下牢に幽閉した。

 p30

 持続性、強靭性、完結性という点に関しては、彼の妄想への沈潜ぶりは、まさに完全に病的な偏執狂のそれであり、彼の仕事ぶりはもはや勤勉というよりは、熱病であり酩酊であり、夢想であり忘我の陶酔である。それは彼にひとときの生への飢えを忘れさせてくれる魔法の秘薬であり眠り薬であったのだ。

 こと創作に関しては、彼の五感は年端のゆかぬ子供のように分別力を持たなかった。それは偽りと純正なもの、現実と欺瞞とを区別できなかった。それはただ自らを充たすことのみを望み、体験が現実のものであるか夢想であるかを問わなかった。バルザックは生涯自分の五感を欺き続け、飢える五感に喜びの幻想を提供した。

 その彼は、作品の中ではすべてを知っていたはずであり、取引所の仲買人たちの巧妙な手段にも、大小の企業の精緻な術策にも、高利貸しの奸計にも通暁し、あらゆるものの価値を知り尽し、作品中の何百という人々にその生計の手段を講じてやった彼であるはずだった。そうした彼が、自身のこととなれば手もなく資本を失い、屈辱にまみれた破滅を体験し、残された鉛のように重い借財を、そののち半世紀の生涯にわたって運送夫のごとく広い肩に背負い、引きずり歩く羽目に陥る、バルザックはそうした人間だった。

 p42

 彼が書くことを始めたとき、どういう方法で彼の中に人生の全領域、全範囲に関する全知識が入り込み、彼の倉庫の中に集められ貯えられていたのか。こうした巨大なあらゆる題材・職業・気質・現象に関する知識の蓄えがいつ、どこから、いかにして彼の中にもたらされ、そこの根付いたかは、ほとんど神秘的な存在であるシェークスピアとともに、世界文学中の最大の謎といってよい。