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★プルースト 『失われた時を求めて 7 ゲルマントのほうⅢ』(岩波文庫)7/13

 この第7巻は、主人公「私」をめぐる人間関係が前の第6巻とはかなり変わってしまったところから始まる。「私」をあれほどかわいがってくれた祖母が亡くなって数か月がたっており、「私」は祖母を思い出して気がふさぐこともほとんどなくなっている。第1・第2巻ではパリ社交界の花形スターだったスワンは、高級娼婦オデットとの結婚がたたって上流クラブからはじき出されようとしている。

 第4巻『花咲く乙女たちのかげに』で「私」があれほど恋い焦がれたアルベルチーヌは、いまや特別の存在ではなくなっている。第4巻で描かれたアルベルチーヌは、「私には上機嫌と不機嫌がほんの数秒ごとに入れ替わるように思え」る気まぐれな女神のような存在だったが、今のアルベルチーヌはそうではない。「私」とアルベルチーヌはこの巻でいとも簡単に寝てしまう。

 そうなったのは、4巻から7巻までの失われた時の間に、「ある女性を愛しているとき、われわれは相手に自分の心の状態を投影しているだけである」(第4巻p415)という経験を、「私」が自分の中に刻み付けたからだ。恋は相手が引き起こすのではないというプルーストの持論は、この巻でも繰り返されている。

 p74

 恋というものがいとも恐ろしいペテンであるゆえんは、われわれを外界の女性とではなく、まずはこちらの脳裏に棲まう人形とたわむれさせる点にある。その人形こそわれわれがつねに自由にでき、わがものにできる唯一の存在である。想像力とほぼ同様の完全に恣意的な想い出が作り上げた唯一の存在が現実の女性と違うのは、むかし私とアルベルチーヌが恋をした(と思っていた)バルベックに地が現実のバルベックと異なるのに等しい。そんな人為的につくられた女性に、われわれは現実の女性を無理やり少しずつ似せようとして苦しむはめになる。

 第7巻は本文で550ページほどもあるが、その4分の3がパリ左岸の高級邸宅地「フォーブール・サン=ジェルマンでも最高のサロン」であるゲルマント公爵夫妻邸の晩餐会描写に宛てられている。翻訳者吉川一義教授によれば、プルースト解説書などでは、この晩餐会の描写はひときわバルザック風の「人間喜劇」的な箇所とされているらしい。しかし次から次と供される豪華な料理の描写、それを平らげてはげっぷを出す男どもの下卑た冗談、美男の若い伯爵に秋波をおくる年増の男爵夫人、それに眉をひそめる老侯爵夫人、美男の若い伯爵が金に困っていることを年増の男爵夫人に教える銀行家、その銀行の抵当に入っているルイ11世風の長椅子やルイ14世風の肘掛椅子をたたえる似非歴史学者・・・・・・、こういった「いかにも」の上流貴族晩餐会の悲喜劇を詳しく書くことにプルーストの目的があるのではなかった。

 階層が上昇するほどスノビズムに敏感である

 400ページ以上にもわたる晩餐会描写の中でプルーストが書いたのは、彼ら上流貴族は、自分たちのスノビズムをどうとらえているかということである。延々と喋りまくる女主人ゲルマント公爵夫人は、「聡明」、「才知」、「知性」の人である自分をもちろん疑わない。そんな自分は、夫ゲルマント公爵とともに、古フランス発祥の地であるイル・ド・フランスに関わる家柄であり、フランスの上流貴族は十数代さかのぼればすべて姻戚関係にあると言えるほどである。全フランスの貴族と姻戚にあるならば、フランスのすべての農民や下層階級や下層貴族は私たちの支配下にあって当然であり、いまのさばりつつあるブルジョアどもはただの成り上がり者ではないか・・・・・・・。

 しかし・・・・、そのむかし、イル・ド・フランス地方でいにしえのフランスが起こりつつあったころ、私たちの先祖はどうだったろうか。今のブルジョアどもが私たちにおべっかと巨額のリベートを使ってのしあがり、一歩ずつ社会の階段を上りつつあるように、私たちの先祖は当時衰えつつあった古代貴族たちに、阿諛追従をつくして地位をあげていったのではなかろうか。最終目標である王位には、ルイやらナポレオンやらが現われたせいでまったくたどり着けなかったけれど。つまり私たち上流貴族は、もとを正せばあのいやらしいブルジョアども、キツネのような下級貴族どもと、どう違うのだろうか・・・・・。

 つねに「才気」あふれるジョークを連発し、「ロシア政府はトルストイを暗殺しようとしているんですってね」と爆弾発言したり、社交界の常識を無視して一切の宝石もつけず、周囲が厳格なもの思い込んでいるドレスコードには合わない服装であらわれたりするゲルマント公爵夫人の行動の裏には、国王の地位にはどうしてもたどり着けない最上流貴族の、薄暗い時代の記憶が奥深い身体感覚として残っていたのである。そのうえ現在は、工場経営者のブルジョアユダヤ人金融資本家といった次の時代をうかがう人種の圧力を本能的に感じてしまっている・・・・・。最上級貴族のいかにも暗い自己省察である。

 

 ゲルマント公爵夫人もたじろぐパルム大公妃の恐るべきスノビズム

 晩餐会の主賓はパルム大公妃。ゲルマント公爵夫人の警句に素直に感心するおめでたい貴婦人である。しかし、おめでたいにもかかわらず、出自が一ランクちがうことと、祖先の株式投資のおかげで大金持ちであることがゲルマント公爵夫人の嫉妬心をあおりたてる。夫人は大公妃の「愛想よく人情味にあふれ」たところをいつもバカにしているが、大公妃は現代でも「真心をもって慈善活動をする」欧米上層階級マインドの正真正銘の源流である。ゲルマント公爵家はその一支流にすぎないことを、夫人は身をもって知っている。

 p190-1

 大公妃の愛想のよさには、二つの要因があった。ひとつはこの君主の娘が受けた教育である。大資産家でありヨーロッパのあらゆる王家と姻戚関係にあった母親が、娘に幼少期から、福音書スノビズムともいうべき、高慢なまでに謙虚な教育を叩き込んだのである。そのせいで今では、大公妃は目鼻立ちの一つ一つまで母の教えを復唱しているように見えた。母はこう言っていたのであり、娘も子供たちに同じことを教えていた。

 「くれぐれも忘れないように。神のおぼしめしであなたが王位継承者として生まれ、なんとありがたいことでしょう、神の摂理によってあなたが出自と財産で優位に立つからといって、そうでない人を図に乗って軽蔑してはなりません。それどころか、恵まれない人たちには親切にしておやりなさい。あなたの祖先はキリスト教紀元647年ごろからクレーヴェとユーリッヒの大公でした。神のありがたい御心により、あなたはスエズ運河会社のほとんどすべての株と、ロスチャイルドの三倍ものロイヤル・ダッチの株を持たせていただいています。

 「あなたの直系の血統は、系譜学者たちの手で、キリスト教紀元63年までさかのぼることが確かめられています。いまも義理の姉妹に、皇后が二人おいでです。ですから人と話すときは、こんな特権が頭にあることをおくびにも出してはなりません。そんな特権がかりそめのものだからではなく、あなたが高貴な生まれで投資先も一級であることなど、教えるまでもなくみなが承知しているからです。由緒正しい血統は変えることのできるものではなく、石油は今後も必要とされるでしょう。

 「不幸な人たちに手を差し伸べなさい。神のみ心であなたの下におかれた人々に、あなたの地位を失うことなく、与えられるものを与えなさい。つまりお金の援助や、ときには看護の手を差し伸べるのです。しかし決してあなたの夜会にそうした人を招待してはなりません。そんな人たちには何の役にも立たないばかりか、あなたの威信を低下させ、慈善行為の効果も失せてしまいます。」