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シェイクスピア 『ヘンリー八世』(小田島雄志訳・白水Uブックス)

 シェイクスピアの歴史劇の中で『ヘンリー八世』は『ヘンリー四世』、『リチャード三世』に次いで観客の入りがいいが作品らしい。読んでも楽しめる。
 1613年に書かれ初演されたとされている。1613年といえば生涯独身を通したあのエリザベス一世の没後10年の年だ。エリザベス一世は、ヘンリー八世の2番目の王女。ヘンリーが王妃キャサリンと離婚してローマ法王庁から破門され、国じゅう大物議をかもすなかで未亡人アン・ブーリンと再婚して生まれた人である。

 長女は前妃キャサリンとの間に生まれたメアリー一世であり、チューダー朝としてはアン・ブーリンと前夫の間に生まれたエドワード六世がヘンリー八世を継ぎ、そのあとをメアリー一世、そしてエリザベス一世が即位した。エリザベスはヘンリー八世の3代後の女王だが、彼女は結婚しなかったから、チューダー朝は彼女で終わった。数十年後にホッブズが書いたような「各人の各人に対する戦争状態」がこれほどあからさまだった時代はなかったといえる。
 そのあとはスコットランド王とイングランド王を兼ねたジェームズ一世がスチュアート朝を開き、次第にスコットランドイングランドの下位におかれることになり、ほぼ100年後にはグレートブリテン王国として統一されることになる。

 「解説」を書いている前川正子氏によれば、この『ヘンリー八世』は 「ジェームズ一世の王女とドイツのパラタインという選挙侯との結婚祝賀行事の一環として書かれたのではないかという。統一ブリテンとドイツのプロテスタント勢力の同盟を意味したこの婚礼の祝賀劇として、カトリック教会を代表するウルジー枢機卿の没落とイギリス国教会を確立したカンタベリー大司教クランマーの台頭はふさわしいテーマだったろう」 ということである。
 事実、キャサリンとの離婚に成功し、アン・ブーリンとの再婚によってローマのくびきを脱却したあと、ヘンリー八世以後の国王はカンタベリー大司教を完全な支配下に置くことができた。

 英国国教会は、教義と儀式はほぼカトリックなのに政治的態度だけが反カトリックという、曖昧な性格を持つ教会制度である。国王に対して露骨な干渉をしないことだけが国教会とプロテスタントに共通で、その他の点では国教会はプロテスタントよりもよほどカトリックに近いものを持っている。
 ドイツ選挙侯とイングランド王はこのあたりのことをよく話し合ったのだろう。ともあれローマ法王庁はヘンリー八世を破門することで、皮肉にもイギリスに政治・経済活動の自由を与えてしまったわけで、エリザベス一世以後、イギリスは世界帝国への栄光の道を突き進む。

 ヘンリー八世の娘・エリザベス一世は大海洋帝国としてのイギリスの基礎を築き、彼女を継いだジェームズ一世はブリテンの統一王となり、さらに統一王が娘を嫁がせたことによってドイツプロテスタント勢力との同盟もなった。イギリスにとってそのとき以上に国運が輝こうとするときはあっただろうか。
 演じたのは王が所有する「国王一座」、シェイクスピアはその座付作者である。エンディングまぎわ、エリザベス一世の洗礼祝賀式にあたってのカンタベリー大司教のスピーチは、それを聞く王が顔を赤らめるほどの追従の美辞麗句であふれかえっている。

ホッブズ 『リヴァイアサン』(岩波文庫)

 ホッブズは1588年に生まれ1679年に死んだ。つまり、政治ではエリザベス1世からクロムウェルピューリタン革命期を経て議会君主制へ、宗教ではローマカトリックから英国国教会へと、国の形が大きく変わろうとしているときに、成年してからのすべての年月を過ごした。クロムウェル革命直前のこと、ホッブズの身の回りでは、ルター派カトリック攻撃が凶暴さを増し、反撃するカトリック側も爆弾を持って新教徒を襲うなど、文字どおり <社会の中には、各人の各人に対する戦争がつねに存在>していた。
 『リヴァイアサン』が刊行されたのは1651年、クロムウェルの革命は成功したがそのピューリタニズムのあまりの厳格さから市民の反感を買い、国王が亡命先のフランスから呼び戻されるて王政が復活するという、一寸先の世の中が読めない時代だった。
 こんな時代に、毎日まいにち学者や貴族たちとの政治論にもまれていれば、その彼の思想は穏健、平和的なものになるはずがない。事実、ホッブズは意見を異にする知人たちからあるときは王党派、あるときは革命派と目され、家庭教師としてつかえた有力貴族のお供をしながら三度も大陸に亡命している。
 その亡命旅行の途中、フランシス・ベイコンの秘書の一人なっていたホッブズは1635年頃、ベイコンや勤め先の貴族の口利きで、デカルトガリレオ・ガリレイに会ったりしている。ヨーロッパの近代は、ロンドンやパリやアムステルダムの貴族のサロンで、こうした天才たちが毎日のように会って話をしていた時代なのだ。

 リヴァイアサン』は政治思想書の大古典だが、第13章「人類の至福と悲惨に関するかれらの自然状態について」が面白い。というか、文学書ではないので、この章以外は、政治思想「史」、つまりその時代の「政治環境と思想家の関係」に特別の興味がなければ、よほどの勉強家でなければ読み続けることがむずかしい。私はもちろん怠け者だ。
 シェイクスピアホッブズより一世代ほど前の人である。シェイクスピアに登場する人間がなぜあのように「劇的」なのか、この13章だけを読むだけでも、そのことがよく理解できる。ジェントリー以上の階級にとってはまさに「劇的」な時代だったのだ。もちろん平民にとっては「人生を劇的と思いたい人にだけ劇的だった」(小林秀雄)のだが。

 <人びとは生れながらに平等である>
 自然は人びとを心身の諸能力において平等につくった。しかしその平等の程度は、ある人がそのちがいにもとづいて、他人に対する圧倒的な便益を言い立てられるほど顕著なものではない。すなわち、肉体の強さについていえば、もっとも弱いものでも、ひそかなたくらみや他の人との共謀によって、もっとも強いものを殺すだけの強さを持つのである
 <平等から不信が生じる> 
 能力のこの平等から、目的を達成することについての希望の平等が生じる。だから、もし誰か二人が同じものごとを意欲しながらそれを享受できないでいるとすると、彼らはたがいに敵となる。そして、彼らの目的への途上において、たがいに相手を滅ぼすか屈服させようと努力する。
 <不信から戦争が生じる>
 この相互不信から自己を安全に保つには、先手を打つことほど妥当なことはない。強い力または奸計によって、できるだけ多くの人をできるだけながく支配することである。そしてこのことは、彼自身の安全を保障するところを超えるものでなければ、一般に許されている。そうでなければ、守勢に立つだけでは、彼はながく生存できないであろう。
 <人間社会の中には、各人の各人に対する戦争がつねに存在する>
 
これによって明らかなのは、人々が、彼らすべてを威圧する圧制権力なしに生活しているときには、彼らは戦争とよばれる状態にあり、そういう戦争は、各人の各人に対する戦争である、ということである。戦争の本性は、実際の闘争のなかにあるのではなく、社会が平和に向かっているという何の保証もない状態においては、人々は闘争への明らかな志向を持っている、ということのなかにある。
 これらのことをよく考えたことのない人には、自然が人々を、このように分裂させ、相互に侵入し滅ぼし合わせるということは、不思議に思われるかもしれない。しかしこれらのことは経験によって簡単に確かめられるのである。
 彼が旅に出るときに、自分は武装し、かつ十分な同伴者とともに行くことを求めるということ、彼が眠るときに扉に鍵をかけるということ、彼が家にいるときでさえ自分の金庫に鍵をかけるということ、しかもこれらのことは、彼が被害を受けた場合に復讐してくれる法律と武装役人がいることを、彼が知っている場合にもそうなのである。
 <このような戦争においては、何ごとも不正ではない>
 
各人の各人に対する戦争の状態では、「正・不正」の観念は存在の余地を持たない。各人共通の権力がないところに法はなく、法のないところに不正はないからである。強い力と欺瞞こそ、戦争における主要な徳性である。正義と不正は、戦争にあっては、肉体または精神のいずれの能力にも属さない。

[阿部謹也 『中世賤民の宇宙』(ちくま学芸文庫)2/2

p317−8
 メルヘンは、「人間に内面が存在しなかった時代」に生まれた
 古代、中世ゲルマンの民間伝説に由来するものが多いグリムのメルヘンは、ほとんど例外なしに個人という小宇宙から大宇宙を垣間見たものである。
 メルヘンの主人公は基本的にはひとり旅をする。ひとりで旅をし、災難に遭って、必ずどこかで救い手が現われる。その救い手というのは全部、妖精とか植物とか動物とかの形をかりて大宇宙から来る。決して人間、仲間の人間ではない。そして分かれ道に来たりすると主人公はその助けを借りて、右か左かにぱっと迷わず進む。逡巡することがない。また、相手方から難問を課されても少しも苦しむことがない。困ったことになりそうになると必ず助け手が現われてすべての難問が解決されるようになっている。
 もう少し考えると、内面性というものを持たないのがメルヘンの主人公ということである、ということがわかる。内的葛藤がないと言い換えてもいい。苦しみはもちろんある。たとえばシンデレラは話の前半はとても苦しんでいる。小さな家の中でいじめられて日常的に苦しんでいる。しかしシンデレラの苦しみは逡巡とか自己嫌悪とか内的葛藤とかいうものではない。彼女は大宇宙が遣わしてくれた妖精と触れた瞬間に世界が広がってゆき、すべてがうまくいくようになる。

 考えてみれば、「内面」が発見されたのは近代になってからなのだから、古代、中世のメルヘンの主人公に内面性がないのは当たり前である。自分の死んだ後のことまで知っていた神が近代になってにわかに疑わしくなったのだから、自分とは何かを自分で考えなければならなくなった・・・・・。だからいやいやながら内面というものが発見されたのだ。
 柄谷行人『日本近代文学の誕生』によれば、わが国で内面が「発見」されたのは明治十年代らしい。市川団十郎が当時大根役者といわれたのは、その演技が新しかったからである。彼は古風な誇張した科白をやめて、身体をいたずらに大きく動かす派手な演技よりも、精神的な印象を客に伝える表現に苦心した。それが当時の観客には大根の演技と映った。
 もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形の代わりに人間を使ったものである。「古風な誇張した科白」や「身体をいたずらに大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が「人形」化するために不可欠だったのである。それまでの観客は、化粧によって隈どられた顔にこそリアリティを感じていた。いいかえれば、「概念」としての顔に「肉体」を感じていたのである。近代以前とは要するにそういう時代だった(本ブログ 2015年3月30日)。

阿部謹也 『中世賤民の宇宙』(ちくま学芸文庫)1/2

 P53
 抽象的「時間」は中世にはじめて生まれた
 水時計、砂時計、火時計は、水が流れ、砂がこぼれ落ち、蝋燭が燃えるという地球上の物理量の変化によって時の経過を測る。この意味で水時計や砂時計や火時計は「地球的時間」の尺度である。これに対し11世紀に発明された歯車時計はまさに地球の重力を中断させ、間歇的に失効させるものであり、星辰や地球といった自然的実体によらずに時の経過を測ろうとするものである。だから歯車時計が表示するのは「抽象的時間」、「知性的時間」ということができる。歯車時計の案出こそは、重力というものに干渉しようとする近代文明のライトモチーフとは言わないまでも、ヨーロッパ近代文明を他のすべての文明から際立って異なるものに成長させる、その端緒だった。

 P86
 近代は、合理と非合理を区別しない近代以前を葬らずにはいない
 近代以前の狩猟・農耕社会では、神話へと固定された何らかの事件が一つの氏族などのの聖なる原型となって語り伝えられてゆく。このような生活の中では過去と現在の間に明瞭な区別はない。過去が常に後の出来事の中に流れ込み、彼らの現在を構成するものとなる。
 彼らの「現在」の価値は相対的に失われるかに見えながら、それは容易に失われない奥深い内容によって満たされる。現在が神話となった過去と直接にかかわることで永遠の一部になってゆくからだ。この社会においては、現在の生活とは単なる移ろいゆくだけのものではなくなり、「永遠」にかかわる高次なものとして、そこに生きる人々の(精神)生活全般を支配する。
 神話を非合理の一語で片づける近代は、合理と非合理を区別しない近代以前を葬らずにはいない。アイヌ江戸幕府に酷使され、アメリカ大陸の先住民がヨーロッパ諸国に滅ぼされたのも、一言で言えばそういうことである。

 p118−20
 賭ける「普遍的価値」がないゆえに、日本の「誓約」にはなんの意味もない
 世界がキリスト教化されるまでは、古代から中世にかけてはどこでも「相互贈与」が社会の基礎にあった。ユダヤでもヨーロッパでも、食事の席に招待することが人間関係維持のための欠かせない贈与であり、贈与にはお返しがくるのが当然とされていた。
 ところがイエスは「ルカ伝」においてこのことを否定した。イエスは自分を招いた人に言ったという。「食事の席を設ける場合は、友人、兄弟、金持ちの隣人などは呼ばぬがよい。儀礼的に彼らはあなたを招き返すだろう。むしろ宴会を催す場合は、儀礼だけのお返しができない貧乏人、不具者、盲人などを招くがよい。そうすればあなたは、天国への準備としての善行(貧者への喜捨)を積んだことになり、幸いになるであろう。」
 ヨーロッパ全体がキリスト教化された10世紀ごろ、このイエスによる贈与慣行の転換は、信者にとって彼岸を媒介とするものであった限りで、各個人の命を賭けた転換だった。死後の救済への期待と惧れが、きわめて牢固だった一般大衆の贈与慣行の転換を促したのである。
 ヨーロッパにおいて誓約が大きな意味を持っているのも、この死後の救済への期待と惧れと強い関係がある。わが国において誓約にほとんど何の意味もないのは、そこに普遍的なものが何一つ賭けられていないからである。
 しかし上記のイエスが説いた「天国への準備としての善行」は、中世後期に近づくころカトリック教会によって「地獄に落ちないための免罪符制度」に変質してゆくのだが・・・・・・・。

[谷崎潤一郎 『少将滋幹の母』(新潮文庫)

 これを名作と言わないでどうしようというほどの名作。厖大な史料を踏まえ、古語、漢語をたくさん使いながら平明で読みやすく流れるような叙述は読者に時間を忘れさせる。
 中下級貴族などは人とも思わない権勢家左大臣時平、歴史上有名な好色男・平中、滋幹の父で妻を目の前で盗まれる痛ましい老公卿経国など、少将滋幹をとりまく人間の動きに無理がない。そして、本一冊としての大きなものの哀れのなかに、名高い狂言役者の振舞のように目を引く小さなおかしみ・・・・・、私が個人的には好きでない谷崎の女性拝跪もあまり目立たず、すでに『蓼食ふ虫』(42歳)、『卍』(44歳)、『春琴抄』(47歳)、『細雪』(62歳)などで名声を確立し尽くした老大家の力量が、細かな単語づかいのすみずみに感じられる。
 巻末に河盛好蔵が「解説」を書いている。
「・・・・・『少将滋幹の母』は、作者が34歳のときに書いた『母を恋うる記』を64歳の老年になって再び芸術化したものと見ることができよう。・・・・・しかし散文詩のような『母を恋うる記』にくらべて、『少将滋幹の母』はなんという見事な、円熟した作品であろう。長い人生経験と深い学識が、しっかりとした骨組みになっている。緻密に構成されたこの作品は、古典劇の如く堂々としており、また一巻の絵巻物を繰り広げるような興趣に富んでいる。史実と創作とが渾然ととけあって、読者は空想の翼をどこまでも遠く広げることができる。
 平中の好色ばなしで始まった物語が、権力者時平のすさまじい恋愛になり、その時平に奪われた妻に対する妄執から逃れようとあがく国経の不浄観の修行に転じ、最後は滋幹が、<奪われていった母>に40年ぶりに出会うところで物語は終わる。その母は「花を透かしてくる月明かりに暈されて、可愛く、小さく、円光を背負っているように見える」。筋の起伏の巧みさと、作者が長い芸術修行の間に身に着けた筆さばきの技法は、読者をしてしばしば巻を措いて感嘆せしめる。巨匠の作品とはこういうものを指すのであろう。」
 
 ただ思うに、若く美しい「滋幹の母」は左大臣時平が自分をさらってくれることを待っていたのではないか。絶世の美女が老公卿経国のもとで無残に老いてゆくことを、あの谷崎が表も裏もなく許すはずがない。文字面ではどこにもそんなことは書かれていないが、読んで数日たつとその思いが深まってくる。「可愛く老いた小さな母」はそうした女性性を全うした罪障のゆえにこそ円光を背負っているのではなかろうか。

谷崎潤一郎 『春琴抄』(講談社全集)

 谷崎潤一郎が美しいと考えるもの」が前面に出た中編。47歳のときの作。「女性がもつ、この世界で他と比較できない美しさ」の前には、その女性の人となりの高慢とか残酷とかはどうでもいいことである、男と生まれたからには美しく気品ある女性には必ず跪かなければならない、と、簡単にいえばそういう話である。
 大阪・道修町の裕福な薬種商に生まれた春琴。華奢にしてバランスのとれた手足と身体つき、美しい顔立ちに恵まれているだけでなく、物心ついてから習い始めた舞と音曲にも、花街の若い芸者衆が恥じ入るほどの天分を見せる。父母の可愛がりかたは当然並大抵ではなく、店の奉公人や習い事の師匠がちやほやすることも一通りではなかった。立居振舞には自然驕慢・我儘の風が目立つようになるが、9歳のときその春琴は (彼女の美と早熟を嫉む誰かが花柳病の菌を食物に入れたという噂が立ったほど) 突然眼疾になり、あっけなく盲目になって運命が暗転してしまう。 

 この春琴に男巫女のように仕えるのが店の丁稚の佐助。近江から出てきたとき春琴はすでに盲目だったが、まじめ一本の佐助はなぜか瞼を閉じた春琴の不思議な気韻に打たれる。いっぽう春琴も、ふだんは身の回りの用を務める何びとにも気むずかしいのだが、佐助の口数が少ないことを気に入ったのかどうか、音曲の稽古行き帰りの「手曳き」から日々の雑用まで佐助を指名するようになり、小用の手水かけやはては風呂場での背中流しなども任せるようになる。

 数年後には二人の間に子供ができてしまう。しかし二人の間に一般世間の恋愛感情はまったくない。月並みの夫婦関係や肉体の関係」はまったく書かれていない。春琴は佐助の子であることを不自然なほど強い言葉で否定する。その方面については「佐助は、少なくとも春琴の意識としては、生理的必要品以上に出なかった」とさえ谷崎は言う(p442)。
 生まれた子供はどこか里子に出されてしまうが、そのことにも谷崎はなんにも頓着していない。谷崎が書いているのは春琴が女主人としてどれだけ傍若無人にふるまい、三味音曲の表現だけでなく作曲にも秀で、当時の女性にまれな美食家であり、美しい自分の体の維持に気を遣い、佐助がその全部にわたって奴婢としてほぼ50年のあいだ、毎日毎日、全身全霊を尽くし続けたということだけである。

 37歳のとき、春琴は酒宴の席でやくざ者を馬鹿にしたせいで、鉄瓶の熱湯を頭から浴びせられるという事件が起きる。身を捧げ尽くすことを生きがいとしてきた佐助は無残に崩れた春琴の顔を見ることはできない。春琴の心内を思いやれば見てはならない。そこで佐助は、春琴の火傷の痛みが引いたふた月後、あろうことか縫い針で自分の両目を突いてしまう。谷崎のマゾヒスティックな女性美学を極端なかたちであらわした有名な結末だ。 p453
 痛くはなかったかと、佐助が目を突いたことを聞いて、春琴が言った。いいえ、痛いことはござりませなんだ。お師匠様の大難に比べましたら、これしきのことが何でござりましょう。お師匠様だけが苦しんで、自分が無事でおりましては、なんとしても心が済まず、罰が当たってくれたらよいと存じまして、災難をお授けくださりませと朝夕拝んでおりました効があって、ありがたや望みがかない今朝起きましたらこのとおり目が潰れておりました・・・・・・。

 その後もふたりの間には3人の子ができたが、ひとりは死産、あとはふたりとも里子に出されてしまったらしい。それはそうに違いない。天界の出来事のような両親の純粋さを保つためには、子供はからみつく絆(ほだ)し以外の何物でもない。

大嶋幸範  国民の象徴の憲法違反行為

 去年夏、天皇がなるべく早く退位したい旨をテレビで表明された。大震災に遭った避難家族を膝を折って慰める天皇の姿に感動していた国民は、ほとんどが賛意を示した。それを受けて退位を根拠づける特別法も近々成立するようで、退位後の称号や住まいまで既定のものであるかのように報道されている。
 しかし天皇の「お気持ち表明」は多くの法学者の疑義をまつまでもなく明らかな憲法違反である。なぜなら日本国憲法第4条第1項は「天皇は、・・・・国政に関する機能を有しない」とはっきりと明文化しているからだ。内閣・国会が関係法の整備に向けて動くよう、自身の意向を直接全国民に向けて表明することが、憲法で禁止された国政へ関与でなくて何だろう。
 高齢になって、被災地への慰問、海外王室との交流などが困難になっていることが大きな理由だと天皇は言われる。摂政ではそういう大任は果たせず、だから健康な若い天皇に譲りたいと言われる。
 だが、失礼は百も承知だが、健康や体力の衰えといった個人的問題を突然自分でメディアに語り、それでもって内閣を動かそうとするのは、国民統合を象徴する存在の行動としては、あまりに直情径行であり軽率すぎないか。そして象徴天皇は「個人」であると同時に「国家機関」でもあって、憲法のどの条項にも抵触してはならないことは誰よりもご存じのはずではなかったか。
 大半の国民が私情として天皇を敬愛しているのはよくわかる。しかしそれが、意向表明ひとつで法律の改廃につながるのでは、日本は近代民主主義国家ではない。憲法天皇関連条項がたとえ未熟な「悪法」であっても、それを改廃できるのは立法府だけのはずである。<メディアへの直接表明→国民の翼賛的同意→共産党を含めた全会一致による新法制定>という今回の動きは、一歩間違えば、同調しない者には後ろ指をさす戦前社会の雰囲気さえ思い起こさせて暗澹たる気分になる。