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小田実 「大地と星輝く天の子」 1

 高校二年だったか、国語の教科書に小田実の『何でも見てやろう』があった。田舎者の私を初めて外に連れ出し、歴史という人の営みの総体を考えさせてくれた本である。二千五百年前、世界文明を圧倒的にリードして近代以降の人間の基礎概念を打ち立てたギリシャが、美しい建造物だけを残して沈んだ。メソポタミアもエジプトもギリシャもローマも、世界を制した文明が後代にその栄光を取り戻した例はない。エーゲ海の光の明るさと遺跡の美しさを通して、文明が沈むことの意味を、成長の遅い子供の心の奥にまで伝えてくれたのは小田実だった。
 十九世紀末のヨーロッパ知識人は、ギリシャの偉大な先祖たちと同じように、自分たちの大文明が突如滅びるかも知れないことを宿命のように恐れていた。二年後に読んだヴァレリー『精神の危機』は、第一次大戦によって崩落の淵に立つヨーロッパ知識人の茫然感を精密な魅惑的な文章で伝えていた。よかれと思って進める誠実な営みの論理は、じつはそれ自身が文明を迷わせる妖しさを持つのかもしれないと。・・・前年の教科書には小林秀雄『私の人生観』があった。
 ウィキペディアによればその小田実が沈んだのは生涯をかけた「ベ平連」によってだという。「ベ平連」にKGBの資金が流れていたことがソ連崩壊によって公開されてしまった。ベトナム戦争のとき二十年後のソ連崩壊をだれが予想できただろう。どこの国でも活動家はナイーブだからKGBやCIAの長い射程に捕捉されればいずれ助からない。だれが小田を批判できよう。

 上巻p69
 ペロポネソス戦争の末期、ペルシアはスパルタとアテナイの双方を適当に援助して、お互いが喧嘩しながら少しずつ弱まっていくのを待っていた。(あとは疲弊しきったどちらかをパクッといくだけだ。万古不易の常識である。)
 p121
 民衆というものは、つまるところ、サルだ。善良、貪欲、センチメンタル。しかも同時に残忍この上もない。政治のコツはいかに前の三つにすがりよって、最後の残忍をいつまで眠らせておくか、そこにあるのだよ。
 その手前勝手なサルどもをあやつるには高飛車に出るより他はない。そして金と、たまにはセンチな子守唄。ペリクレスはそのすべてをうまくやってのけた。
 p132
大悲劇「アテナイ人」を書こうとしながらぶざまに太っている無名詩人メレトスの嘆き)「吠える雨に打たれながら横に立つ戦友との共感のきずなはどこに行ったのだろう。何のために人は生きるか、などはそのときだれも問わなかった。人はだれも生きたいと願っていた、それで十分だった」・・・『なんでも見てやろう』にはたぶんこんなことが書かれていたのだろう。それを読んだ私はまだ十七歳だった。
 しかし。小田実は、三十歳の“ノンセクトラジカル”の本音として「戦友との共感のきずな」をまともに書いてしまっている。作家としての韜晦をまじえずなんのソフィステケートも加えず。これは五十歳を超えたとき自分で塗りつぶしたくなる文章ではないのか。晩年彼はそう思わなかったのか。甘いと言われることもふくめてオレなのだとしたのか。いまは軽蔑すべき作家になった平野啓一郎は、当然のこととして、後年子供っぽいといわれそうなところは慎重に推敲し、あらかじめ取り除いてある。
 p243あたり
 ディオニソスの暗黒祭の描き方も上手ではない。気味悪さが伝わってこない。小田実は小説家としては一流ではなかったのだろう。ソクラテス裁判はまだ始まっていないが、そこにたどり着くまでの原告側の退廃の描写が冗長すぎる。裁判の持って行き方がわからないのでなんとも言えないが、同じ理屈なら半分の登場人物で書けるのではないか。

 p312
 アテナイの属国にされたところでは、自分の国の中に外国の基地がある、裁判権は奪われてしまった、お前の国の安全を図ってやるという名目で莫大な金を取り立てられる。だれだってそのアテナイを外へ放り出したくなるでしょう。